あたまの余白

今までも何度か書いてきていますが、あたまを「いっぱい」に使っておられる方、けっこう多い印象があります。

パソコンのメモリで言うなら、使用率95%とか。そういう状態です。

パソコンの話が分かりづらい方には、「体育館」というたとえ話をしました。

頭は仮置き場(その2)

頭に対する施術を、クリニックで行うようになってからも、いろいろな方がいらっしゃっています。 頭への施術は、頭痛や不眠、あるいは「頭がはたらかない」というような方…

パソコンの動きもそうですし、体育館や、あるいは作業をする机の上もそうですが、これだけいっぱいになると、なかなか大変です。頭痛の原因にもなってきたりしている様子が、最近診療していると、ちょこちょこ見受けられます。なるべく、片付けていただいて、スッキリした場所を維持していただきたいものではあるのですが…。汚部屋などの片付けでも似たような話になるのですが、片付けをするときには、まず「空いた空間」を作り出すことが必要になります。

ところで、世の中には15ゲームという、古典的なゲームがあります。4×4のマスに、1から15までの数字が書かれたタイルが入っていて、これを並べ替える、というゲームです。マスの数は16個あります。このゲームのポイントは「一カ所、タイルが抜けている」ということです。

(画像は https://www.askul.co.jp/p/HR16607/ からお借りしました)

このタイルが抜けているはずの場所までもがいっぱいになってしまっていたならば、タイルをどこかに動かすこともできなくなります。

あたまの中がどのように情報を整理しているのか、はちょっと分からないところがありますが、昔のパソコンでは「ハードディスクのデフラグメンテーション」という作業がありました。関連する情報を、整理しつつ、同じ区画に集める、ということをやっていたようです。

こういう作業をするためにも、余白部分があることが重要、ということがわかります。

そういえば、『老子』の中に

三十輻一轂を共にす(さんじっぷくいっこくをともにす)。

という言葉がありました。「無用の用」という文章の一説ですが、なにも無い場所があるからこそ、役に立つのだ、という文章です。

ゲームについても、あたまにしても、そして人生についても、余白を残していることが大事なのかもしれません。