人工知能にまけない

文章を書くのに、ワードというソフトを使っているのですが、先日から、新しい文書を作ろうとしたら、薄い文字が出てくるようになりました。

「アイコンを選択するか、コマンド+Yキーを押してCopilotで下書きします」って書いてあります。

え?ナニコレ!?って思ったのですが、試しに「英語で漢方の説明」って入れたら、ガチャガチャガチャ……チーン!って(そんな音はしていません。なんとなく、見ていたわたしの心象風景から想像した擬音です。静かに書いておられました)書き上げてくださっていたんですよねえ。ちょっとびっくりしました。

どうやら、人工知能とか、AIと呼ばれるようなプログラムが組み込まれたようです。便利になった、ということなのでしょうか。

AI、わりとあちこちに出てきているようで、最近、グーグルで検索をかけても、AIによるまとめ、が冒頭に出てくるようになりました。そこをちらっと見るだけで、用事が済むことも増えたように感じます。

そういえば、以前、Webサイトの検索エンジン最適化(SEO)を売り込んできた企業が、ブログを毎日書くことが大事なのだ、と一生懸命おっしゃっていました。で、今どきは、AIにテーマだけを投げかけると、かなり長い文章を作ってくださるので、それを、Webに載せたら良いのだ、と。

なるほど、検索に引っかかりそうな単語をちりばめつつ、かつ、インターネット空間から取り寄せた、最大公約数的な内容の文章であれば、それは、AIにとっては「有用な情報が高密度で詰まっているテキスト」という扱いになるのかもしれません。

人工知能(や、ロボット)に職業を奪われる職種、というのが雑誌でラインナップされたこともありましたし、最近は、カウンセリングなんかも、人工知能が上手になさる、ということもあるようです(このあたりは、実は最近、ではなくて、ずいぶんと歴史があるそうで、ELIZAと呼ばれるプログラムは1960年代に作られたそうですが「来談者中心療法」を再現したカウンセリングをやっていたという記録があります。https://ja.wikipedia.org/wiki/ELIZA )

人工知能ではありませんでしたが、子育て(教育)の話を、ゲームとの関係性でお話された講演会を聞きに行ったことがあります。

ゲーム(あるいはコンピュータ)は「何度同じミスをしても、怒らない」し、「少しずつでも上手な対処をすれば、飽きずに褒めてくれる」というところが、ヒトにはできない、安定した関係性を作る部分になっているのだ、という話をされていて、教育の一部分はゲーム的な形…ないし、コンピュータが担当して行う、ということの可能性も示唆されていたと思います。

AIの教育効果なんていう報告や論文も、増えて来ているようですが、内容によっては、ひとが教えるよりも早い修得をされることもあるのだとか。

そういう点については、やはり、ヒトよりも優秀…というか、我慢強い、と言えるのだろうと思いますから、コンピュータにお願いして、上手に分担するのが大事なのでしょう。

(場合によっては、ヒトの方が、人工知能やロボットより「廉価」である、という理由で採用されることもあるようで…このあたりはとても悲しい話になってきかねません)

ワードの人工知能に、うっかり「人工知能に負けない」というテーマを投げかけて、エッセイを書いて、とお願いをしたら、きっちりした文章をかえしてくれました…。

A4の用紙にぎっしり2枚です。分量は指定しませんでしたが、結構な分量です。

たしかに、よく書けているなあ、と思います。こういう文章が書けるのであれば、例えば、大学生の講義レポートなどとしては十分に「よく書けました」となります。

こういうレポートの提出が増えるとなると、課題の評価が大変なことになりそうです。人工知能に書かせたレポートをそのまま出してくる…あるいは、それを下敷きにして、ほぼ丸写ししてくる、なんていうことも増えているんでしょうか…。レポートの出来の良さと、学生本人の理解度合いが、全然相関しなくなったら、レポート課題の意味がなくなりそうです。

ヒトが人工知能に負けない部分、っていうのは、(人工知能は「創造性」「感情」「価値観」みたいなものを挙げますが)今のところ「身体がある」っていうことと「意外性を引き出すことができる」というところあたりにも、ありそうです。

意外性、なのだけれど、突飛すぎないところ、というあたりを狙うのは、ヒトがまだまだ上手にできる部分、なのだろうと思いますので、わたしもなるべく、ヒトならではの文章を綴ってゆきたいと思います。