人生ななころび

昨日、内輪の会でしたが、ちょっとした集まりで講演を、と依頼されたものがありました。「人生ななころび」と題して、わたしがクリニックを開くことになるまでの紆余曲折をお喋りしてきました。
高校を卒業したところから、だったのですが、平成7年の卒業直前、新年早々(センター試験の翌日だったと思います)には阪神淡路大震災があったのでした。
その後3月にはオウム真理教が東京の地下鉄で毒ガスのサリンをぶちまける、という、大規模なテロ行為を引き起こしました。オウム真理教の一連の騒ぎがあった後、宗教に対する一般人の温度が微妙に下がったように感じます。
農学部に入学したわたしは、漢方の師匠に出会い、ついで、ボディートークの師匠に出会ったことから、「人の身体に触れて関わる仕事をしたい」と考えるようになりました。
そのためには、国家資格を持っている方が良い…と考えたことと、たまたま受験がうまくいったこととが重なり、農学部を中退して、医学部に入り直したのでした。
親のすねをかじること9年(農学部3年+医学部6年)。教養の課程を2回経ることになりましたので、自分の興味の赴くまま、あちこちにもぐり込んだのでした。
また、この頃、大学の外で、精神科医の師匠とも出会ったのでした。
医学部を卒業し、その後の進路を決める、というタイミングで、我が子の出産に立ち会い、お産の時の関わり方や、その後の育児のあり方によって、子どもの発達が良くなる、という事を知りました。
これは、産婦人科医になって、子どもの発達がよくなるお産の環境を作ってゆかねば…と志を持ったのでした。
現実は、そんなに甘いものではなく、大学病院や総合病院の産婦人科はけっこう忙しい場所でしたし、駆け出しの下っ端が意見を通すことなど到底できることはありませんでした。
そんな時期に大学院で研究を薦められ、あまり気乗りはしませんでしたが、学生に戻ることになりました。この時にいろいろな出会いがあったことで、また道が啓けたのだと思っています。
大学院は4年で修了するのが普通のことなのですが、論文も仕上がらず、そのまま総合病院に赴任することになりましたが、この赴任先で過労うつを発症しました。
臨床の現場に戻ることを考えると、動悸がする、という状態で、ここから、再び臨床に立てるようになるまで、5年ほど引きこもりの生活をしていました。ちょうどコロナのステイホームにも重なり、少しゆっくりした生活を送っていたのでした。
そんな細々とした生活ではありましたが、拾ってくださる方があって、出稼ぎの仕事もそれなりにあり、病院の産婦人科で当直の業務をしたり、あるいは健康診断をしたりしていましたが、総合病院の外来で、再び臨床に立つこともできるようになりました。
ところが、この病院の上司が交代してから、方針が変わって、診療をする場所がなくなりそうになった時に、「開業しないか」と提案してくださった方があったのでした。
本当にたくさんの恩師と、気にかけてくださった方がたのおかげで、今、こうしてクリニックを開業することができ、それなりに診療を続けております…。
…と、まあ、こんな話で終始したのでした。
本当は漢方の話とか、婦人科の話とか、あるいはお産の話なんかも盛り込みたかったのですが、あいにく時間切れ、となってしまいました。
にしむらの話にご興味のある方、時間があえば、お喋りに参りますので、どうぞお声かけください。