発酵と腐敗

身近な発酵といえば、パン焼きが有名です

発酵は発酵です。たいていはよい匂いがするもの。腐敗は腐敗。臭くなってくるもの。ぜんぜん違います。

…って、にんげんはそういう風に言います。

食品などに関わる場合の「発酵」の定義が

「酸素の有無に関わらず、ある食品および原材料が、微生物の働きにより、人間にとって有益なものに変質すること」

https://www.toyaku.ac.jp/lifescience/departments/applife/knowledge/article-036.html

となっていますから、ヒトにとって有用なら「発酵」で、有用じゃない変化なら「腐敗」ってことになります。

微生物にとっては、どちらも、彼ら自身の生存と活動による化学的な変化の結果、ということになるのだろうと思いますから、あまり変わらない、ということなのかもしれません。

「え、でも腐っていくっての、あれ、いやじゃん。無かったら良いのに…」って思います?
たしかに夏場、特に生ゴミの臭いがあがってくると、ちょっと嫌ですよねえ…。

たとえば、はるか古代に、樹木を腐らせる菌類が存在しなかった時代があったそうです。その時の樹木は、朽ちる…ことがなかったので、そのまま地層に埋もれていって…何億年もかけて、石油になったのだそうです。石油はたしかに現代社会にとても有用ですが、あれだけの量の有機物が、いつまでも無くならないで地層にとどめ置かれている、というのは、それはそれで大変なことだったのだろうと思います。

分解されずにとどめ置かれている有機物、って、現代で言うなら、プラスチックが、その立場に近いところにあります。これを地面に埋める形で処分しているところもあありますが、地中で、さまざまなプラスチック製品…やそれに混ざった不純物などが、圧力と、それから熱が加わった状態で長時間放置されている、とも言えます。この状況では「どんな反応が起こっているのか、分からない」という話になっています。

わたしが小学生くらいの時には、学校に焼却炉というのがあって、たいていのゴミはそこで焼却処分していました。用務員さんが火の番をしつつ、わたしたちが持っていったゴミを中にいれてくれていました。

プラスチックごみは燃やすとダイオキシンが発生するから…という話が出て、いつの間にかこうした小さな焼却炉は運用が止まったのでした。

中学校くらいの時には、環境問題についての図書が結構多く配架されていたのだろうと記憶しています。ダイオキシンについては、かなりセンセーショナルな本を読んだ記憶があります。

『母は枯れ葉剤を浴びた』などというルポルタージュに触れたのも、そのころだったでしょうか。

あるいは『ダイオキシンの降った街』などという小説も当時読んだ記憶があります。

枯れ葉剤の影響といえば、結合双生児であった、ベトちゃん・ドクちゃんというお二人も、しばしば報道されたことでした。

焼却炉での燃焼で発生するダイオキシンの濃度は、そこまで高くなるわけではなさそうですが、なかなか難分解性であり、蓄積してゆくようです。そんな有害成分といえばPCBなども似たような有害性と蓄積性が指摘されているのでした。

最近は、分解出来なかったはずのプラスチック(PET)を分解する菌が発見され、その研究も進んでいます。

プラスチックを分解する細菌(NL56) | かずさDNA研究所 - 幅広く社会に貢献する研究所をめざしています。

ペットボトルや衣類に用いられている PET(ポリエチレンテレフタラート)は石油から作られています。PET はこれまで自然界での微生物による分解は起きないとされて

まだまだ、分解の速度はゆっくりだそうですが、今後、もっと効率よく分解できるようになる細菌が発見される、あるいはこうした細菌がそのように変化してゆくことが期待されています。

ひょっとすると、いつの日か、こうした有害な有機化合物も、上手に分解できる細菌が出てくるのかもしれません。

そうした時に、この分解は「腐敗」なのでしょうか。それとも「発酵」なのでしょうか?

これは分解して出てきたものを見なければ結論が出ない、ということでしょうけれど、まあ無害な物質に変化してもらうだけで十分ありがたいこと、と考えるべきなのかもしれません。

腐らないもの、朽ちてゆかないもの、というのは、それはそれで、取り扱いに困る存在になったりする、ということのようです。

むしろ、腐っていく、ということを積極的に肯定し、それをモノの循環の中に取り込んでしまおう、という考えを提唱される方がいらっしゃいます。

『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』

著者の渡邊格氏は「金本位制」ならぬ「菌本位制」という言葉を提唱し、ヒトと菌の良い関係を作り出すことを提案されています。

とはいえ、結構これが難しいのだそうです。天然の有用な麹菌を捕まるためには、いわゆる化学物質を使っていない「きれいな」環境で、「きれいな」水や米が必要になるのだとか。詳しいことは本…ないし彼らのウェブサイトをご覧いただくことにしますが、きれいな水、きれいな米を求めて、彼らは関東地方から移動し、今は鳥取県の智頭町に拠点を構えています。

そして、日本における近代醸造の研究が進んだ背景には、環境の変化があったのではないか、と指摘しておられます。

今の醸造は、厳密に管理された麹や酵母を使うことが普通になっていて、先史時代の酒造りとは清潔さが違います。が、その清潔さが必要になったのは、ひょっとすると環境が変化してきたから、なのかもしれません。

発酵と、腐敗とのどちらになるのか?を決定する要素のひとつに、わたしたちが環境とどのように関わっているのか、が含まれている、というのであれば、これはとても示唆的な発見ではないか、と思うわけです。