けいろがちがう

こんど、ちょっとした内輪の集まりで、30分ほどのお話をすることが決まりましたので、その準備をしていました。
その自己紹介のために、自分の経歴を振り返ってみて、「わたしは本当に野良育ちなんだなあ…」ってあらためて確認したところです。
わたしも、ちゃんと医学部を卒業して、ちゃんと卒後臨床研修を終えています。それなりにちゃんとした教育を受けてはいます。なのに、野良育ち?って思われるでしょう。おっしゃるとおりです。わたしが自分自身を「野良育ち」だと自認する事情を少し書いてみようと思います。
養老孟司氏の本に『日本人の身体観の歴史』 という本があります。学生時代に、わたしは授業のレポートを書く参考資料にしようと思ってこの本を読み始めました。そして「ここに、わたしが書くよりも断然格調高く、かつ網羅的に書いてある!」と愕然としたことを覚えています。レポートを書く手が止まってしまい、この本を丸写しするわけにもいかないし…と考え込んだのでした。
養老孟司氏は、本の中で、「なぜ軍隊では体罰的なオリエンテーションから始まるのか」また「なぜ医学部の教育は解剖学実習から始まるのか」という事について書いておられました。氏の理屈で言うなら「現代社会は極めて脳化している。身体というものを完全にどこかに置き忘れてしまっている状態であるが、軍隊も、医学部も、置き忘れていた、生身の身体というものを相手にしていく仕事になる。そのイニシエーション的な意味合いとして、軍隊の体罰があり、医学部の解剖実習があるのだ」ということでした。つまり「生身の身体とは何か」ということを、解剖実習を通して、あらためて認識してゆくことが重要だ、ということです。「観念的ではない、生身の身体」というものに触れる、その入口に、解剖学実習が配置されている、というのが、現代の医学教育なのです。
であれば、解剖実習で触れる「対象=ご遺体」を医学教育における「身体というもの」のいわば規範ないし基準にする、という話になります。解剖学的な身体観が、医学の基本的な素養になるわけです。が、わたしの個人的な経緯を考えると、わたし自身は医学部に入る「前」に人の身体に触れることをはじめていました。生身の身体に触れつつ、その身体に起きている筋肉の緊張や、その心身的な意味を読んでいたわけです。
真っ白な紙を始まりに据えて、そこに新しい価値とか知識を書き込んでいく、という形で積み上げていくのが通常の医学教育…なのかもしれませんが、医学部入学時点で、わたしの「紙」にはすでにいろいろと「正式な医学教育」とは違った理屈が書き込まれてしまっていました。学ぶ経路がすでに違っていたのかもしれません。わたしはその色眼鏡を通して、自分に施される教育を、どこか批判的に見ていました。
教育の中で伝達された知識としては、同級生と同じものであるはずですが、わりと、些細なものごとに、しばしば違和感を抱え、批判的精神でそれらをみた状態で医学部教育を終えたわけです…まあ教えている方も、うすうすは気づいておられたのかも知れません。わたしの批判的精神もまだまだ未熟でした。
最初のボタンを掛け違うと、その後をどれだけ丁寧にボタンをつけ続けていても、掛け違いは解消しません。ひょっとすると、言葉が介在することで、誤解をまねきつつ、進む方向がどんどん離れていく、ということだって起こってしまいます。
幸いに、懐の広い先生がたにご指導いただいたので、あまり大事にならずに、鷹揚に見守ってくださったのですが、わたしはそういう「はみ出し者」であったのだと思います。
じゃあ、そういう「はみ出し者」であったことが、どういう形で、今、花開いているのか?ってことですけれど…。
他の先生とは、ものの見方が違うのだと思います。西洋医学的な前提が、一番土台にあると、どうしても西洋医学的な見方になるのではないか、と思います。わたしは、むしろ漢方医的な見方…といっても、きっちり漢方医の見方をしているとも言えないので、なんとも言いづらいのですが…を中心に診察や診療をしています。
病態の説明も、解釈そのものも、他の先生とは違うだろうなあ、と思っています。
そういう解釈や説明が、しっくり来る方と、いやいや、普通のお医者さんの説明の方がしっくり来るよ、という方がいらっしゃるのだろうと思います。ですが、そういう「普通のお医者さん」との相性もあるように思います。
世の中の多くの先生が、「西洋医学中心」の考え方をなさっているところで、わたしは、そうじゃない、へそ曲がり的な考え方をしている、という部分があります。まあ、そういう医者が時々いる、というのも、決して悪くないのではないでしょうか。
毛色の違う者が、「普通のお医者さん」とは別の視点から問題を捉えることで、多少なり解決に近づくための方策を考えられる、ということもあるのではないか、と、わたしはそのように、自分の存在意義を考えています。