台所のルールと価値観

とつぜん、変なことをお尋ねします。
「キッチンのシンクを洗うスポンジは、食器を洗うものをそのまま使用していますか?それともシンク洗い用のスポンジがありますか?」

これは、ご家庭によって、異なるのだそうです。
そして、よそのご家庭のキッチンに、なにかのお手伝いで入った時に、「ここのキッチンは、食器とシンクは別のスポンジで…」って言われた方が、「まあまあ、我が家では一緒で洗っているから…」と稀に、そのような「おおらかさ」を発揮されることがあるのだとか。

「おおらかさ」というか、細かい決まりを守れない大雑把さと呼びましょうかしら。

わたしは、時々台所に立つことがあるのですけれど、わたしの「台所ルール」と、妻のそれがだいぶ違う、ということに気づいたのは、結婚生活をずいぶんと経過してから、でした。

「台所ルール」と書きましたが、これは、単に、台所のどこに何を置いておくのか、という具体的な行動のことには限らなくて、むしろ、重要なのは、何がどのくらいキレイで、何がどのくらい汚いか、という価値判断の部分になります。

ルールが違うからこそ、行動が違う、ということに気づかず、どうして何度言ってもこれをこう、ってしないのか!ってずいぶんと腹を立てたりしていたものです。

わたしのやっている、こっちのやり方のほうが断然良いじゃん!って思っていたのですが、そういう考え方もわたしの独りよがりだったのでした。

シンクと食器を洗うスポンジが別、というご家庭は、それだけの事情がありますし、一緒にされているご家庭は、一緒にできる状況(シンクもいつもとてもキレイ、とか)があったりします。

洗剤や、食器、あるいはシンク、そしてスポンジ、それぞれのアイテム、ひとつひとつは、言葉では共通理解があるように思われますが、それぞれのご家庭の「台所ルール」に則った、とつけると、食器はまあともかくとして、洗剤やシンク、あるいはスポンジの意味合いがだいぶ変わってきます。

たとえば「シンクは汚い」がルールのご家庭もあります。「このスポンジは汚い」というのがあるご家庭もあるでしょう。

それは、日々、どのようにお使いになっておられるのか、あるいは、シンクに何が入ってくることがあるのか、によっても変わります。

もちろん、とりあえず目の前の道具をそのまま使って掃除をはじめた、というような、大雑把な(わたしです…)ひとが居るのかも知れません。

それぞれのルールには、それぞれのご家庭の事情があって、それぞれの事情が作った、台所の動き方になっているはずです。

そこに「私の家ではこうやっているから!」っていうのを持ち込んで、ひとさまのご家庭の「台所ルール」を乱してしまっては、いけないわけです。

こういうことにも「自他の弁別」…つまり自分と他人の境界線をきっちりと認識する、ということが大事なのだ、と言えます。

自分のやり方、には、自分自身はいちばん慣れていますが、それは背景の「台所ルール」あってのこと、だったりします。

意外と、他の人の「台所ルール」に則ったなら、その方がやっておられる日々の動きのほうが、断然合理的、だったりすることもありますので、一度、自分はこうやっている、を棚上げしていただく、というのも大事になります。

こういうことが「郷に入っては郷に従う」なのかも知れませんねえ。