嫉妬してしまうんです

先日「嫉妬してしまうんです」という話を聞く機会がありまして…ふと考えてしまいました。

わたしも嫉妬すること、あります。世の中では、嫉妬はいけないことだ、と言われたりもします。が、だからって、頭ごなしに否定するわけにもいかないところがあります。

なぜ嫉妬はいけないこと、なのでしょうか?理由がわかれば、それに該当しない嫉妬なら良いのかもしれません(よくない)。

しっと 【嫉妬】(名)スル

① 人の愛情が他に向けられるのを憎むこと。また,その気持ち。特に,男女間の感情についていう。やきもち。悋気(りんき)。「―心」「夫の愛人に―する」

② すぐれた者に対して抱くねたみの気持ち。ねたみ。そねみ。「友の才能に―をおぼえる」

漢字の意味を調べてみましたが…

しつ 【嫉】漢字

ねたむ。そねむ。「嫉視」「嫉妬(しつと)」

と 【妬】漢字

ねたむ。そねむ。「妬視」「妬心」「嫉妬(しつと)」

どっちの字も「ねたむ」「そねむ」なんですねえ…。

ねたみ 【妬み・嫉み】

① ねたむこと。そねみ。嫉妬(しつと)。「―ごころ」「―を買う」

② 負けた側が挑んで,もう一度行う勝負。「御―には御勝ちあり」〈とはずがたり•2〉

ねたみ、の2番目の意味に「負けた方が挑んでもう一度行う」という意味がありました。これは言ってみたら「敗者復活戦」…じゃなくて「負け惜しみのリベンジマッチ」でしょうかしら。なんとかして、負けたくない、勝ちたい、という思いが伝わってくるような、そんな言葉なのかもしれません。

なので、すっかり気持ちよく負けた!となるなら、嫉妬心は出てこないわけでしょう。わたしの方が強いはずなのに、負けた!というところで出てくるのが嫉妬心なのかもしれません。

そういえば、昔、野口三千三という方が、身体を信じる、という言葉を「やまとことばで言ったらどうなるか」という形で言葉探しをされていました。
『野口体操 からだに貞く』に収載されていたと記憶していますが、信じる、という言葉を「まけて、まいって、まかせて、まつ」と書き換えておられました。
おなじ「ま」で始まる和語を4つ並べる、という言葉の使い方に感心したものですが、まける、ということは、相手に対して信を持つことになるのかもしれません。

そこを「まけられないぞ!」ってなると、嫉妬心になるのでしょうけれど。

同じ水準にいるのだ、という話でなければ、勝ち負けにはなりませんから、嫉妬にはなりづらいのでしょう。

先日、師匠のオープンカウンセリングに参加した時。「頑張っているひとの話を聞くと、嫉妬する」というような相談がありました。「あの人はそれだけ頑張っているのに、わたしは…」って思うのだそうです。が、これに師匠は「その話、直接本人から聞いた?」って聞き返しておられました。

ご本人から事情をきっちり聞き取りしていないのであれば、周りが伝え聞いた話をふくらませているかもしれません。羨む話の裏に、もっとしんどいことを思っておられる、かもしれませんし、いま頑張っておられる、というのが勘違いであることだって、あるかもしれません。

まずは、相手をきっちり見ることで、実は同じ土俵にはいなかった…とわかれば、そもそも嫉妬の対象にはならなかったりします。

最近あった、別の相談の方にもお伝えしたのですが、相手についての情報を得ることで、自分の感情がかき立てられる…というような話があったときは、きっと、観察が足りていないのだと思います。つまり、早とちりです。

観察の足りていないところを、自分の想像で補うわけですから、ついつい、羨むような、嫉妬するような形で補えば、どんどん嫉妬してゆく方向に進みます。

そこを、もっと客観的に、細かく観察すること。他人には、わたしに理解のおよばないような事情があるのだ、と想像することで、嫉妬から離れることができる、ようになるのかもしれません。

なお、仏教では不偸盗戒(ぬすんではいけない)があります。自分のものではないものをとってはいけません。嫉妬心は、「自分には無いもの」を他人がもっていることを羨む、そんな心ですから、それを奪いたい、という行動の一歩手前と言えるかもしれません。

そりゃ、不偸盗戒に抵触しますので、そうなるような行為は慎むべき、なのでしょう。

また嫉妬をもとに腹を立てると、不瞋恚戒(怒ってはいけない)に抵触します。

嫉妬心がダダ漏れになっていると、気分を暗くされることにもなりますし、気分が暗いのも怒りですから、不瞋恚戒にひっかかります。どうぞお気をつけくださいませ。