御恩と奉公

歴史の勉強をしていた頃に「御恩と奉公」という言葉を覚えました。中学校くらいのことだったでしょうか。
雇用主?である殿様から「御恩」があり、それに対して「奉公」があるのだ、というような話だったと記憶しています。
現代社会的な言い方をするなら「生活の安定と安堵」に対して「労働力の提供」というような話になるのでしょうか。

わたしも一昨年から、クリニックの院長という個人事業主になり、お給料を支払う立場になりました。なってみて気づきましたが、この「生活の安定と安堵」というのが結構難しいわけです。
生活の安定には、十分な賃金の支払い、というような項目が該当します。
安堵、の部分には、「将来的な賃金の安定、ないし増額の予定」というような内容が該当するのでしょう。
つまり、昭和や平成の「終身雇用」と、それに付随する「定期昇給」などの構造が安定している、ということがこの「安堵」になるのかもしれません。

最近の社会人は、就職が決まって、入社したところで、すぐに転職サイトに登録をするのだそうです。

ええええ?就職した端から転職??と驚きましたが、終身雇用という保証がどんどん無くなってきている現在の状況で、雇用が流動化しているようです。
この雇用の流動化は、社員の育成、という構造を喪失させてゆく傾向にあるのだとか。
若手を丁寧に育て上げると、育ったところで、他社に転職してしまう。なので、育てるコストをかけた分の回収ができなくなるのだそうです。そりゃ、経験者募集した方が、会社としては負担が少ない、という考え方も理解できます。
育成も受けられない、所得の保証も、長期的な安定も望めない、ということになれば、そんな所属先に愛着がわかない、としても、あまり責められないのかもしれません。

そんな話を書いたのは、どうやら、一般企業だけじゃなくて、研修医の教育、という点において、似たような話がはじまりつつあるのだ…ということを耳にしたから、です。

わたしが研修医になった当時は、卒後研修が必修化されるところでした。給与については、研修の必修化とともに、最低額が引き上げられたため(そうしたルールが適用されない)ひとつ上の学年と給与額が逆転する、などのとんでもない事がまかり通るような状況でした。
「屋根瓦方式」と呼ばれるような、教育訓練の順送り構造の中で、ひとつ下の学年にいろいろと教えている方が、教わっている方よりも給与が少ない…なんていう、妙なことが発生していたのですが…。
医師の訓練や、教育の中には、労働基準法についての文言がほとんどありません。サブロク協定、と呼ばれるものが一体なんであるのか、ということも知らされていませんでした。
労働者としての待遇がどうこう、ということを、考える暇もないまま、診療を行う、ということばかりを考える、という状況にたたき込まれた…のが、わたしの初期研修だった、と今でも思っています。

今となっては、悪いことばかりではなかった、ということにしておきます。治療家としての「エートス」を骨身に染みこませる、という意味では、こうした制度も必要だったのかもしれません。

あれから20年かけて、医療の世界にも「働き方改革」が押し寄せてきました。
昭和の時代に、教職員は聖職者か、それとも労働者か、という議論があり、徐々に労働者である、という話が前面に押し出されるようになってきた、ということがありました(その割には、いまだに長時間労働や、残業代の算定がされていない、などの問題点があるようですが)。

今は、医師は労働者なのか?という話が出てきました。

診療のために、自分自身を犠牲にする、というエートスは、すでに失われはじめているようです。そして、新人…であるところの研修医や、あるいは修練医が、時間外に業務に触れることに、様々な制限がかかるようになりました。
勤務時間内に習得するべき事を習得して、技量を伸ばしてゆくことが出来たなら、それでも良いのかもしれません。
が、最近は労働者…ないし、被雇用者の権利を強く言い立てる研修医が増えて来た、というような噂を耳にします。

これは、エートスが失われてしまったから、と言うこともできるのかもしれません。

が、同時に、医師という職業を「労働者」に矮小化し、その生活の安定や安堵をないがしろにしてきた、ということがあったのかもしれない、と思います。

エートスが失われるのが先だったのか、それとも経済的な裏付けが消失するのが先立ったのか。
昔は、若い頃に苦労することがあっても、その後十分に回収できる可能性があった、ということなのだろうと思います。
そうした時代に「医者は儲かる」というイメージが醸成されました。

2000年前後に、医療に対するバッシングが拡大したことを、わたしは覚えています。

福島県立大野病院で、は2004年に母体死亡の医療事故があり、産婦人科医が業務上過失致死の容疑で逮捕拘留されています。
患者の取り違えなどの医療事故が報道されていたのも前後し、医療に対する不信が拡がったとも言える時期でした。
大野病院の件は、逮捕拘留から裁判の判決が出るまでの間に、ずいぶんと潮目が変わり、産婦人科医擁護の論調が強まったこともあり、無罪の判決言い渡されたわけですが、それ以前の医師を重んじる雰囲気とはずいぶんと変わってしまったように感じられます。

このころに、医師が感じる「御恩と奉公」のバランスが、変わってきたのかも知れません。
訴訟に対して身構える、という姿勢が強くなって、防衛的な行動が増えて来た、という傾向もあったのだろうと感じます。

そもそも、御恩と奉公、というのは、ずいぶんと古い時代の話ですから、当時としては、まともな契約書もなかったのだろうと思います。そのような「雰囲気」として、面倒をみる、みられる、という信頼感があったのではないか、と思います。
その雰囲気を一生懸命守ってゆく、というエートスもあったに違いありません。
明治のご一新の時に、その一部は吹き飛んでしまったところもあるようですから、全てが、とは言いづらいのですが、それでも、何らかの形で御恩と奉公、という空気感は続いていたのでしょう。

少しずつではありますが、それが崩れてきたところに、今があるのだろうと思います。

そうした、報恩の思想が成立しない中で、どのように「わざ」を保ち、伝えてゆく場所を維持するのか、というあたり、とても難しい課題なのではなかろうか、と、頭を悩ませているところです。