『モモ』のような

『モモ』 という児童書をご存じでしょうか。ミヒャエル・エンデという、ドイツの作家が書いた、児童文学ということになっています。
映画にもなりました。これはエンデ氏が気に入った、ということでカメオ出演されているのだそうです。

わたしが大学生のころ、臨床心理士の勉強について、いろいろと耳にしたことがあります。その時の心理士(つまりカウンセリングを行うカウンセラー)というのは、相手の話を聞くことが大事、という風に言われていました。「理想は、エンデの『モモ』に出てくる主人公、モモのように、ただ耳を傾けるのが良いのだ」という話でした。

物語の中では「ただ耳を傾ける」とだけ、記述されています。

「話を聞いてもらうことで、自分を取り戻すのだ」と書かれていて、その友人であるジジ(作り話を語るのが得意)の「わたしの話を聞いて、われを忘れて…」という言葉と対比されているのが印象的でした。

物語に没入するときは、きっと、われを忘れるのでしょう。

そして、とことん、傾けられた耳の前では、きっと、自分を取り戻すのでしょう。

歌…鳴き声を喪失したカナリアに耳を傾け続ける少女のシーンは、映画でも描かれていました。耳を傾けている間に、カナリアでさえが、声を取り戻し、さえずり始めるのです。原作では「さすがにこの時はたいへんでした」と書いてあったように記憶しています。

『モモ』の物語はその先、「時間どろぼう」とのたたかいが待っていて、手に汗握る展開なのですが、それは原作ないし映画を見ていただくこととしましょう。

ゆったりとした時間をもって、ひとの言葉の奥底に耳を傾けること。耳を傾けてもらうこと。

それは、とても素敵で、とても贅沢な時間になるのでしょう。元気を取り戻す、大事な時間にもなるのだろうと思います。

ともすれば、自分のための時間をすごすことなく、一日が過ぎていきます。

忙しい一日を終えて、明日も朝早いというのに、どうしても夜更かししたくなる。そういう状況の心理を「報復性夜更かし」とか「リベンジ夜更かし」と呼ぶのだそうです。

自分のために時間を費やすことができなかった時に、その反動で、夜更かししつつ、ダラダラとすごす。疲れているのだから、とか、明日が早いのだから、といって、テキパキと明日の備えをして就寝する…のも時として大事ではあるのですが、あまりにも自分のための時間が無いと、やはり、気持ちが病みがちになります。

本来なら、夜にならないところで、自分のための時間があるのが理想的なのですが…なかなか現代人は大変に忙しいです。

どうぞくれぐれも睡眠時間「も」それなりにしっかり確保していただきたいところです。

にしむら漢方内科クリニックでは、さすがにモモほどの時間は確保できません。
…が、それなりにゆったりと、お話をお聞きできる場所、として、続けていけるように、頑張っております。