あしたのために

いきなり、X(旧Twitter)の引用ですが、躁鬱病はこころにおける時間の流れが変化するのだ、という主張です。

「うつ状態は「現在」と「未来」が消えて、ほとんど全てが「過去」の後悔に引きずられる」
「躁状態は「未来」も「過去」も消えて、「現在」だけが強調される」

なるほど…?

アドラー派の心理学を学ぶと、感情についての取り扱いに大きな特徴があることがわかります。
アドラーは、感情というものを「(なんらかの出来事によって引き起こされた)結果」であるとは考えませんでした。

そうではなくて、「(なんらかの出来事を引き寄せるための)道具」である、と主張したのです。

この考え方は、時間の流れの中で、本末が逆転していることにお気づきでしょうか。
時間の流れとして「過去」に原因があり、「現在」に感情が出てきた、とする、一般的な感情の理屈ではなくて、「現在」に道具としての感情があり、それを用いることで「未来」を自分の思ったものに変化させようとする指向である、という視線があります。

何のために感情を動かすのか。

過去のことは、変えようがありません(過去の事実に関連する、感情的なもつれについては、切り離すことが可能だったりします。感情は常に「現在」との関わりで変化していますので…とはいえ、これはまた別の機会に書くことにしましょう)。

そして、他人のことも変えようがありません。たとえ、変えられる可能性があったとしても、そこに踏み込んではなりません。まんいち、踏み込んだ場合には「不偸盗戒」に抵触することになります。

変えられるのは、つまり、未来の、そして、自分のことだけです。

「変わらないこと」に嘆き続けるのではなくて、「自分自身」と「未来」に向けて、現在よりも健康な未来に生きるために、どのようにしたら良いのか。

そういえば、ニーバーの祈り、というものがありました。

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、

変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

https://www.seig.ac.jp/edu/inori.htm

未来を変えてゆく勇気を支えること、建設的な気持ちを維持しようとする思いを支えることが、「勇気づけ」なのだと思うわけです。