あたま・こころ・からだ

ボディートークの創始者である増田明氏は、わたしにとって、二人目の師匠ですが、ひとを観察するときに「あたま」「こころ」「からだ」でわけて考えるのだ、ということを教えてくれました。

ひとによって、「あたま」が優位だったり、あるいは「こころ」、もしくは「からだ」のいずれかが優位になっている場合があって、それがあまりにも強くなると、他を置いてけぼりにするのでちぐはぐになってきたりするのだ…という話をしていたように覚えています。
あたま優位の人は、だいたい、動きも頭が優先されるらしい。

ほんとうかしら?

その「あたま」「こころ」って、「精神」とはどういう関係なの?みたいなことを、しばしばツッコまれるところではあるのですが、精神活動にもいろいろとあります。
脳みその働き、っていうことで言うなら、五臓では「腎」と言いたくなることもあります。こちらはどちらかというと、ホルモンの分泌に近いところのようです。
神経を使って…みたいな話をすると、五臓では「肝」とか「心」とかが関連するようですが、それぞれでちょっとずつ違います。
精神、という言葉も「精」と「神」では別のものであったようですが…うーん。

あたま、っていうのは、どちらかというと、理性に近い部分を示しているのでしょう。
理屈であったり、表面にはっきり出てくるような思い、なんかは、あたま、がメインのように思われます。

こころ、っていうのは、おおよそ「感情」に近いところを示しているように思います。
ボディートーク、という言葉は「身体がおしゃべりする」という意味で作られた造語です。身体がこころのあり方を伝えてくれる、という意味です。
身体の緊張は、心の緊張をあらわしている、ということが言えますが、同時に、心の緊張がなくても、身体を緊張させると、心がそれに引っ張られる、ということだってあるのだそうです。

そういえば、「なにも無くても笑ったら良い」という話がありました。笑っていると、愉快になるのだ、ということのようです。
ひとの身体と心は、意外と騙されやすいのかもしれません。

身体に出てくる緊張ですが、右側には「能動的な」緊張が、左側には「受動的な」緊張が出るのだ、と習いました。

ほんとうかしら?と思うのですが、やはり左側に緊張が出ておられる方は、さまざまな状況に「振り回されて」おられるような印象が強く残ります。
こうした身体の見方をするようになったのは、わたしの場合、医学部に入るよりも前、でした。やっぱり経歴がアヤシい。
なので、臨床の現場に出てからも、こっそり使っていたわけです。そりゃ、他の先生とは、目をつける場所が違うわけで…。まあそれはよいのですが。

どうしても言葉でやりとりしていると、「あたま」が優先されるようになってしまいます。
こころが置き去りになっていると、どうしても身体には無理が出てきます。
ちゃんとこころのあり方を認めることで、バランスが取れるようになることもありますので、「あたま」で考えることばかりではなくて、身体で感じ、こころで感じることを大事にしていただきたいところです。