いい塩梅

若い頃に、とあるホテルにあった、ステーキハウスの厨房でアルバイトをしていたことがあります。
学生アルバイトに任せられる仕事は、基本的には「お運び」なのですが、他にもコーヒーをお出ししたり、あるいは赤だしの味噌汁をお椀につけてお持ちしたりする、なんていうこともその業務の一環にありました。
ある時。赤だしの味噌汁を準備して出そうとしたら、社員さんに止められました。

味見したのか?

ええと?味見?しましたけれど…?(なにか?)

(味は)どうだった?

美味しかったです!
…ってやりとりをしたら、怒られました。
「一口味見して、美味しい、という状態の味噌汁は、お椀に一杯のんだら、塩辛くて仕方がない」というのです。
いや、たしかに…って、それまでの「味見して」っていうオペレーションの理由はそこだったのか!って(いまさら)気づきました。
始業前に調整したはずの赤だし味噌汁ですが、ウォーマーの上でじんわり加熱を続けられている間に、煮詰まっていたのでした。
じゃあどうするのか…?って話になるのですが…。
「水を足すのだ!」…だそうです。
え?水を?足すんですか?
わりと高級な感じのレストランでしたが…それで良かったんですかねえ…?
…という話はともかくとして、味見、というのは意外と曲者です。
京都には老舗のお漬物やさんもありますが、そんなお漬物やさんの「味見」ないし「試食」についての愚痴を読んだことがあります。
本当に美味しい、ずっと食べていたい漬物を開発したとしても、だいたい、役員さん質の試食会では、そういうお漬物は「地味」ってことになって、もっと塩分濃度の高い、塩っ辛い系のものが「これが美味しい!」と評価されるのだそうです。
試食販売の時の売れ行きも、だいたい似たような話になるそうで…。
試食、という「よそ行き」の、一回限りのタイミングで、外さないように、という味の調整と、「日常」の、毎日食べていて飽きない、という味の調整はだいぶ違いそうです。
そういえば、一時期、街中では「高級食パン」というのが流行しました。乳製品をふんだんに使って、濃厚な味わいのパンを…とあちこちに販売店舗をみかけましたが、気がつくとそういう店舗も減っています。やっぱり「よそ行き」の食パンを毎日、飽きずに、というのは難しいのかもしれません。
先日、「ご飯は毎日食べても飽きないけれど、パンは飽きる」とおっしゃった方がありました。そう言われてみたら、パンはどこか、よそ行きの味付けになっているのかもしれません。
試食して印象に残る味、というのは、どうしてもちょっとずつなんらかの「インパクト」を残したいために「過剰」になりがちです。
いっけん、ちょっと物足りないくらいの薄味が、毎日には良いのかも知れません。