いわゆる「五十肩」との出会い

いちばん最初の師匠に出会う、そのちょっと前に指圧とかマッサージっぽいことをはじめたわけですが、最初の師匠に出会った時に「いやちょっと最近そういうことをはじめて…」と言った途端に「本当か!じゃあやってくれ!」ってうつ伏せになられたんです。

で、なんだか見よう見まねで、あっちおさえてみたり、こっち押してみたり。
そういう形で私の、独学の指圧とかマッサージっぽい仕事?ははじまりました。

指圧も、マッサージも、ちゃんと資格があって、そういう資格がないと施術を業としてはいけない、みたいな話にたどり着くのはまだまだ先の話、なんですけれど。

わたしがそのような事をはじめて、まあ最初の実験台は、家族になるわけですけれど、どういう説明をしたのか、母が「うちの息子、そういうことをはじめて、今は勉強中だから!」みたいな理屈で、近所のお友達に売り込みをかけてくれたんです。今から考えると、なにやってるの!?ってなりますが、当時はわたしも、なんの疑問も持たずにいろいろな方の背中を貸していただいて、いろいろ勉強できる、ってなもので、あっち行ったり、あるいは家に来ていただいたり、ってことで、あっち押したり、こっち揉んだり、ってのをやっていたわけです。

そんなときに、手があがらない、という方のお話があって。
先方さんのお宅にお邪魔したんだったと思います。母の友人、の、ご主人様でした。

普通の肩こりとはやっぱりちょっと違って、なんだか、腕を上げようとすると、ちょっと引っかかる場所があるんですよね…っていうのを、少しずつ追いかけて、これだ!って見つけたのが、今で言うなら、棘下筋とか小円筋とかの緊張だったんだろうと思います。
そこを揉んで(痛かっただろうと思いますが…)しばらくすると、腕が上がるようになっていらっしゃったのだと思います。

五十肩の時はここのシコリなのか!って発見をした気分になっていました。

その後、何人か五十肩で、「エプロンの紐が後手で結べない」とか、そういう方に、それはここです、って揉んで、腕が動くようになった!って喜んでいただいて。
そういう経験が重なりました。

だから、ちょっと、五十肩なら得意、というくらいに侮っていたんだろうと思います。

その次に出会った方は、本当に大変あちこちが凝っておられて。
もちろん、腕も上がらないのですけれど、それだけをほぐしたら良いのではなかった。ああ、やっぱり全身繋がっているんだなあ、なんて認識を改めたものでした。

揉み返しの事もほとんど考えずに気が済むまで揉んでましたので(師匠はぜんぜんそれで平気?だったので加減を知らなかったんですよねえ…)やっぱり揉み返しの話も伺いました。

母の口コミでいらしてくださっていた方でしたから、問題になることはなかったのですが、今から考えると冷や汗ものです。
揉み返しもきつかったけれと、気づいたら、しんどかった症状が消失していた!ってしばらくしてから、報告してくださったのでした。

そういう、揉むだか、ほぐすだか、の施術を、しばらく続けたり、師匠の後をついていったりしている内に「やっぱり国家資格がないといろいろあちこちに迷惑がかかる」ってことを考え始めるに至ったことから、じゃあ医師免許を取得しよう、と、医学部受験を志したのでした。

なので、医師のキャリアよりも、五十肩みていたキャリアの方が、少しだけ長いのです。

ただ、医師になる教育をいろいろ受けて、今は、あれは本当に五十肩だったんだろうか…?って思うこともあります。整形外科の先生がおっしゃる「凍結肩」のような状態ではありませんし、手は上がりませんでしたから、「いわゆる五十肩」と書くようにしているのはその部分です。

整形外科の先生の診察によらない、素人判断・日常語としての五十肩、だと思っていただけますようお願いいたします。