うらないのはなし

うらない、って聞くと、「ちょっとアヤシい」なんて思う方もあるでしょう。

世の中にはいろいろな占いがあります。
人相見、手相見、といった、その人の身体情報をもとにした占い。
四柱推命や占星術といった、暦をもとにした占い。
タロットなどのカード占いや、コイントス、はては紅茶占いなど、その時にであった偶然性を読み解く占い。
あとは、なんらかの「お告げ」みたいなものがある、という話もあります。これは占いというよりは預言に近いのかもしれません。

ちなみに「予言」と「預言」、どちらも「よげん」なのですが、微妙に意味が違うのだとか。

よげん 【予言】

(名)スル

① 未来の出来事や未知の事柄をあらかじめいうこと。また,その言葉。「将来を―する」

② 「預言 →1」に同じ。 →預言(補説欄)

よげん 【預言】

(名)スル

① 神や死霊の意志を媒介し,人々に伝えること。また,その言葉。とくに,超越神によって示された世界の意味・救済の意味などを人々に述べ伝えることをいう。

②  →予言1に同じ。〔同音語の「予言」は未来の出来事や未知の事柄をあらかじめ言うことであるが,それに対して「預言」は神の意志を人々に伝えることをいう〕

キリスト教の聖書にでてくる「よげんしゃ」には「預言」が使われるようです。英語では、そんな違いはあまり無いみたいですけれど。

野口三千三氏は、「うらない、というのは、裏(うら)綯(な)いである」という文章を残していました。

綯う、という動詞は「縄を綯(な)う」という時に使います。つまり、線維を絡ませて、しっかりとした構造を作ってゆく、という意味でしょうか。

うら…つまり、わたしたちが見ている世界の、見えない側面を「うら」と呼ぶとしたなら、世界の裏側に、なんらかの理論ないし、理屈をもって、絵を描き出す…もしくは、その構造化をはかること、と言えるのかもしれません。
「だから、極めて論理的な営みであって、科学と遜色ないのだ」というような事を書いておられたように記憶しています。

科学的であることが全て「善いこと」であるかどうか、というのは、また別の議論になるのですが、うらないも科学的である、という主張は十分に成立するのかもしれません。
もちろん、その論理的な展開が、という部分であって、読む対象となった「偶然」が、世界の今を映し出している…というような前提の部分は、現代の科学とは相容れない面があるのかもしれません。

占いと深層心理

ボディートークの増田明氏は、わたしが師と仰ぐ方のひとりなのですが、昔、高校で音楽の先生をなさっていました。当時、音楽教室から机と椅子を取り除き、型破りな授業を…

わたしの師匠のひとり、ボディートークの増田明氏は、高校で音楽の教師をしていたころに、恋愛占いをしておられたのだ、という話を折に触れてしてくださいました。
そんな中から、心と身体の結びつきを読み解いていく、そんな積み重ねになってきたのだろうと思います。

わたしの診療も、時々、占いみたいなことになっていたりします。
占いだからアヤシい、という話だけではないあたりを、ちょっと考えてみようか…と思ったりしています。