たくさん入る鞄は重たい

昔、格好いい鞄に憧れたことがあります。格好良い…と言っていたのですが、まあ今から考えるとずいぶんとオッサン臭い鞄だったのかもしれません…。趣味とセンスの方の話になると、わたしはちょっと、ひとさまとは違う、らしいので…。
いやまあ何にせよ、鞄、というもののことをいろいろ考えていたのでした。
自分でデザインを描いていた時もあります。あんなのが良い、こんなのが良い、と。最近は、バックパックもずいぶんとスタイリッシュな、ビジネス向けのものも出てきましたので、当時わたしが考えていた理想の鞄に近いものを見かけるようになりました。
さて。そんな理想の鞄への追及をしていた時に、ふと気づいてしまったことがあります。
それが「たくさん入る鞄は重たい」あるいは「重たくなる」ということです。
そりゃそうでしょ。たくさんの荷物を入れるのだから、その分重たくなるんです。
小泉進次郎みたいなこと言わないでよ、ってなりそうです。
大きな鞄だと、皮や布といった素材の量も多くなりますし、それをしっかり持てるように、持ち手もしっかりしたものにしなければなりません。
なので、鞄そのものも重たくなります。
わたしの父の鞄は、何でも入っていました。何でも入っている、なんでも出てくる鞄というのも、とても魅力的に見えたものですが、ご多分に漏れず、とても重たい鞄でした。
いちど、海外出張する父のカバン持ちで、空港まで一緒に行ったことがあります。預け入れするスーツケースもとても重たいものでしたので、他の方の荷物も似たような重さがあるのだろうと勝手に想像していたのでした。空港職員の方が、軽々と荷物を持ち上げるのを見て、本当に力持ちなんだなあ…、わたしは父のこのスーツケース、ヨイショ、って持ってもあそこまで上がらないけれど…と思っていたのですが、なんのことはない、父のスーツケースには「ヘビー(重たい)」っていう注意書きがくくりつけられていました。やっぱりあれは例外的に重たかったようです。
たくさんの荷物を、たくさん詰めて、それを持って歩くのは、やっぱり、大変な仕事で、腕力も体力も必要です。
ところで。

と、徳川家康公のご遺訓の冒頭にあります。
イメージの問題なのかもしれませんが、やはり生きているということが、何かの荷物を抱えているような、そういうことになっているのではないか、と思うわけです。
きっと、人によって、その抱えている荷物の大きさは違うのだろうと思いますが、たくさん抱えられる方もいらっしゃる。たくさん抱えられる方は、それだけご自身の力をお持ちなのだろうと思いますが、やっぱりそれはそれで大変なことになるわけです。
たとえば、50Lの容量の鞄に、45Lの荷物が入っていたとして、「この鞄は50Lのものが入るのだから、10Lの荷物くらい、余裕ではいるでしょ」って言われても、先に入っているものを下ろしてしまわなければ、鞄があふれるわけです。
ひとの頭で、そのような形の重荷を引き受けた状態が続いていることがあります。
いったん、それらを下ろして、忘れることをしてしまわないと、次が入る余裕もなくなりますし、日々重たい頭を抱えているのは、とても大変です。
ところが、たくさん引き受けられる方、頭を、そのように使うことが得意な方ほど、やはり、頭にたくさん詰め込みがちです。しばらくはそれでも平気で頭が働くのですが、はやり、あふれそうになってくると、なかなか大変です。
まして、もともとの頭の容量が大きい方ほど、詰め込んでいるものが多いわけですから、大変さが増します。
頭に抱えているのが得意という方ほど、そのあたりを注意していただきたいものだ、と思います。