ひとの縁
ひとりでも私は生きられるけど
でも誰かとならば人生は遙かに違う
https://www.uta-net.com/song/3012
中島みゆきさんの『誕生』という歌はこんな歌詞ではじまります。
公式の動画がありましたので貼っておきます。
わたしが中島みゆきさんの曲を聴くようになったのは、高校時代に、親友が激推ししていて、布教してくれたからでした。ありがたいことです。「With」という歌の歌詞の解釈で話をしたのを覚えています。
…と、今日はそういう話とはちょっと違って。
大学に入ってまもなくの頃に、外務省に働く職員さんのお話を伺う機会がありました。たまたま何の話だったのか、その方(女性)が、「夫というのは、椅子の足の一本だと思うように、と言われていて…」という話をしてくださったのでした。
夫ひとりに、まるごと自分の生活を支えてもらう形ではダメで、あと3本くらいは、他に頼れる場所を作っておきなさい、というような意味だったろうと思います。

http://ohisamayuubinsya.blog.fc2.com/blog-entry-3462.html
そんな話を心のどこかにひっかけたままでいたわけですが、最近になって、似たような話を、別のところから聞いたのでした。
「自立とは依存先を増やすということ」
熊谷 晋一郎氏
https://www.univcoop.or.jp/parents/kyosai/parents_guide01.html
https://www.tokyo-jinken.or.jp/site/tokyojinken/tj-56-interview.html
熊谷氏は、小児麻痺の当事者で、現在は小児科医をなさっています。
依存先を増やすことで、それらのひとつ、ひとつについて、「あっても無くてもそれほど生活に影響が無い」という状態になるならば、それを自立と呼んでも差し支えない、わけです。
その証拠に、完全な自給自足の生活をしていないと「自立していない」なんて誰も言わないわけですから…。
ところで、人間関係のあり方としても、「来るものは拒まず、去るものは追わず」というのが「スマート」ってことにされている面もありますが、これもけっこう難しい。
一部の気質の方は、いったん自分のもとを離れたひとについて、とても厳しく取り扱う、ということもあったりします。
ひとのご縁というのは、川面に流れる花びら同士のようなもので、流れの事情によっては近づき、また流れが変われば離れていくことが自然なのだろうと思います。たまたま、ひとの人生に比べても十分に長い間、一緒に流れることだって、場合によってはあるでしょうけれど。
離れてゆく流れに逆らうのは、やはり、執着になるような気がします。
SNSなどを使っていると、「イイネ」がいくつ、とか、「リポスト」がいくつ、とか、外の人たちの反応をリアルタイムでフィードバックしてくれるわけです。とても便利な世の中になりました。
おかげで、この数字に一喜一憂するわけです。これも、一種の依存と言えるかもしれません。
わたしも、クリニックのホームページに、日々どのくらいの訪問があるのか、をチェックしては、「今日は多かった」「今日は少し少なかった」と見ているわけですので、あまりひとさまの事をとやかく言えるほど達観しているわけでもないのですが、ひとつひとつの依存への執着を軽くしてゆく、というのも、やはり大事な気がします。
もちろん、身近にいる大事なひとを軽く扱う、という話ではありませんので、念の為。