みんなギリギリで生きている

クリニックで診療をしていると、いろいろと患者さんの個人的な事情についてもお聞きすることが増えます。守秘義務がありますので、それを外に出すことはしませんが、感想としては「みんなギリギリで生きているなあ」という思いでいっぱいになります。
どの方も、社会的にはしっかりとした立場をお持ちだったりするし、世の中から見られている場面では立派にお過ごしだったりします。
ですが、それはいわば、「舞台に上がっている場面」のことで、「舞台裏」とか「楽屋」の内情は、とっても大変…という方がけっこういらっしゃいます。
大変興味深いのは、そういう形で「舞台裏」でしんどい思いをされておられる方が「他の人はもっとしっかりしておられて」って言いながら、自分はもっと頑張らなければ…という焦燥感に駆られておられたりすることです。
そうおっしゃるけれど、あなたも、ひとさまの前では、しっかりしておられるでしょ。あちらもこちらも、見えている部分をしっかり、っていうことをやっていて、「舞台裏」はけっこう大変なままだったりするのですよ…なんてお話することもあります。
ひとのまなざしは、さすがに見えている部分だけにしか届きません。
見えている部分だけをとらえて、そこに自分の勝手な解釈をいれて、ああでもない、こうでもない、と批評するわけです。
『オズの魔法使い』の中には、恐ろしい魔女が出てきますが、この魔女も昔はひとを愛し、信じる、かわいらしい少女だったのだ…という、オズの魔法使い世界の前日譚を描いた作品が『ウィキッド』になります。ミュージカル仕立ての映画が上映されていますが、そのような前日譚を描かれたことによって、単に怖くて、理不尽な存在だった魔女は、信じたひとに裏切られて絶望した、かなしみのヒロインに変わるわけです。
(映画やミュージカルの作品そのものを見たわけではありませんので、見当が違っていてもどうぞお許しください)
本で読んだ物語に近いようなことが、臨床でお話を伺っていると、けっこう出てきます。そして、物語とは違って、ハッピーエンドでもない、などということもあります。
こうした個々の「苦難の物語」に、わたし自身の圧倒的な無力感を覚えながら、臨床に立っていると、それでも多少は経験を積み重ねることになるわけです。
そして、個別の具体的な話はお伝えすることができませんが、大まかに、「そういう形の苦悩に立ちすくんでいる方は、あなただけではありませんよ」ということはお伝えできるわけです。
そういうメッセージの1つが「意外と、みんなギリギリで生きている」というものです。
世の中、だんだん世知辛くなってきていますから、うっかりたすけを求める、といこともしづらくなりました。妙なところで、ギリギリです、って言うわけにもいかなくなったので、ますます外見を整えることに頑張るようになった、とも言えます。
なので、一見すると、みんな本当にきっちりしている、かのように見えるのだと思います。
外見を整えることも大事ですから、決して揶揄しているわけじゃないのですが、その外見、というのは、やはり「舞台に上がっている」時のことです。
「舞台裏」ではけっこうギリギリどころか、倒れ込んでいたりする、そんな方が多いのだろうと思います。
まあ、同類のお仲間がいるなら安心…という話でもありません。あまり無理して「舞台」にあがって欲しくはないのですが、、「舞台」の緊張感や、充実感が、人生の張り合いになっていることも否定できません。くれぐれも、出突っ張りにならないように、ご自愛頂きたいものです。