ものがたりの経験

わたしは、自分の家にテレビが無かったので、暇を持て余しては、本を読んでいるような生活をしていました。まあ本の虫と呼ばれたり、活字中毒と呼ばれたりしていましたが…。

一時期、冒険の物語をずいぶん読んだものでした。ファンタジーの古典的名作というとJ・R・R・トールキンの『指輪物語』なんていうのが有名ですが、わたしがこれに挑んだのは大学に入ってから、でした。ちょっと遅いのかもしれません。

トールキンとほぼ同じか、やや下がった世代のファンタジー作家としてアーシュラ・K・ル=グウィンという方があって『ゲド戦記』というシリーズが、これももう古典として扱われるようになってきていると思います。高校生の時に、学校の図書館で見つけた…のはたしか高校3年生の時だったように記憶しています。受験に向けての勉強が進んでいく中ではあったのですが、微妙に逃避…というか、ゲドの物語にはとても惹きつけられて、あっという間に4冊の物語を読了したのでした。

ファンタジーっていうのは、そもそも「架空の世界」の物語ですから、全部が「つくりもの」である筈なのですが、登場する人物の冒険を、文字を追いかけつつ辿っていくと、あたかも、自分自身がその経験をしてきたか、のような心持ちになったりします。

かつては、ヒーローものとかの映画を見て、その帰りに主人公の真似をする、なんてことがあったようですが、物語にも似たような「ひとを動かす」力があるのだと思います。

そして、その物語を「経験」することで、ひとはやっぱり変わっていく。

医学教育の中で文学の教育が大事である…というような話を、わたしは『ナラティブ・ベイスト・メディスン』の翻訳の時にも担当したのですが(第14章 医学部教育で人文学を教えること:ハリエット・A・スキアー)その後も「物語を読むことで、学生が患者への感情移入を起こしやすくなる」というような報告を読んだ記憶があります。ノンフィクションではなくて、物語が大事、という結論に多少意外性を持ったのでした。

臨床に出てきて、繰り返し確認しているのは、出会う方は、みな、それぞれ、ご自身の「人生の物語」を生きておられる、ということ。そして、たまさか出会ったところで、わたしは、その物語を、肩越しに拝見する、というありがたい経験を頂いていること、です。

以前も書きましたが、医者が多少なり、人生について「ものを申す」ことができる…かもしれない、のは、こうした形で、たくさんの方の「人生の物語」に触れる機会があったから、なのだと思っています。
そして、こうした人生の物語に、触れるご縁を頂いたことを、本当にありがたいことだと感じています。