ものごとがうまく行かないとき

街中で生活をしていると、いろいろな広告を目にすることが多いように感じます。
いろいろな業態のいろいろな方が、広告をうっておられます。

わたしも開業当初、健康教室のチラシを作ってもらったり、クリニックの紹介をしてもらったり、と頑張っておりました。自分がいろいろ作って発信する立場になると、整体サロンとか、そういう雰囲気の「治療院」的な広告、チラシが気になるようになりました。

いろいろな症状とか、病名とかが書いてあって「…でお困りの方!」みたいな表現がされていたりします。

医療機関や鍼灸院などの、国家資格持ちがやっている施設では、広告のガイドラインがあり、書いて良いことと、書いてはならないこと、というのが定められています。世の中のいわゆる整体院は、そうした国家資格を持っておられない方がなさっていることも多く、こうした国家資格保持者向けの制限、というのが、実効力を持ちづらいのかも知れません。

どうにも難しいところがありますが…そうした無資格の方のお出しになる広告を見ていると、あれも、これも、治る!治せる!みたいな表現が使われていたりします。
そういう広告をみては、いろいろ大丈夫なのかしら…?と思うわけです。

診療を実際にやっていると、「これこれの症状は治せる」という手応えや実感がありますが、時々、その「治せる」感じを超えてしまっておられる方も時々、受診されます。

五十肩だって、しびれだって、割と人数を拝見してきた自負と、症状をそれなりに解消できる自信がありましたが、それぞれ「申し訳ありません。わたしが未熟で…すぐに治すことはできません」と申し上げねばならない方がいらっしゃることもあります。実際、開業してから、そういう方にお目にかかりました。やっぱり世界は広くて、わたしが診てきたものはそのごく一部でしかありません。いろいろな症状や、病名を並べて「これらをみんな治します!」って言い切れるのは、よほど修行をされて、すごいお力をお持ちでいらっしゃる方…か、あるいは、自信があふれておられる方なのでしょうか。

いちおう「それ専門!」と、看板をあげていたとしても、それでも治せない時、思っていたような効果が得られない時、というのはあるのだろうと、わたしは思います。

そういう「治せません」「思っていたほど良くなりません」という時に、どうするのか。

ものごとが、ある方針でうまく行っているときには、あまり考え込まずに、そのまま突き進んだら良いわけです。植島啓司先生も「勝っている間は考えるな」と書いておられます。

が。
うまく行かないとき。
そういう時に、どんな風に考えて、どのようにそれを相手に伝えるのか。
さらに、そこから先をどう作り出していくのか。

治療院のチラシに「治します!」と書いておられる先生方はどうお考えなのでしょうか?それぞれの方でもお考えが違ったりするのでしょうけれど。

わたしは、「難しいけれど、いろいろ試させてください、一緒に良い方法を模索していきます…」というような表現でお付き合いをお願いします。もちろん、「にしむらの腕はたいしたことなかったので、別の先生に診てもらうわ」という方があっても良いですし、そういう方は、ご紹介をさせていただきます。ご紹介する先を見つけていただいているとなおさらありがたいです。

わたしは「折衷派」を名乗る医者ですので、1つの治療法に固執することなく、いろいろと良いところ取りをすることがあります。そうやって乗換えた治療法の中のどれかが効果的であれば、それでひとまずはヨシとしたいところです。

ちなみに、ものごとがうまく進まない時は、ひょっとすると、前に進むタイミングじゃないのかもしれない、というお告げみたいな表現もあります。
焦らずにじっくり、腰を据えて待つことで、そのうち変化してくることもありますので、あまり早急に結論を出さない、ということもひとつの方法かもしれません。