よくなっていくプロセスの中で

先日、ブログの記事の中に、少しだけですが「瞑眩(めんげん)」という話をしました。

良薬は口に苦いのか?

江戸いろはカルタの「れ」の札は、「れうやく…」でした。「良薬は口に苦し」というのがそのことわざでした(「り」じゃなくて「れ」なんですねぇ。)が、わたしが見ていた…

めんけん 【瞑眩】

(名)スル 〔「めんげん」とも〕

目まい。「只見てさへも―しさうな人間」〈虞美人草•漱石〉

国語事典には「めまい」って書いてあるだけです。
漢方では、「めまいがするような体調の急激な変化」みたいなこと、という意味で用いることが多いように見受けられます。

Wikipediaには「瞑眩」ではなくて「好転反応」という表題で、このあたりの状況が書いてあります。

中国の古典の『尚書』(『書経』とも、『四書五経』に含まれる)に記載があり、日本の漢方医の吉益東洞(18世紀)により日本で広く認知されるようになった。
薬によって瞑眩が起きなかったら、その病は治らないという意味である。

若薬弗瞑眩厥疾弗瘳
— 『尚書』

治療過程において頻繁に起きることなので、事前に説明がされることが多い。
漢方薬の厳密な定義に従うと、瞑眩が発生するのは多くある。漢方では患者の体質(証)を判断してから調剤を行う。

慢性的に疲労していた筋肉がほぐれ、溜まっていた老廃物が血液中に流れることなどが要因として考えられる。だるさや眠気、ほてりなどを感じるケースが多い。眠気が生じると不眠症が治ったと勘違いしてしまうことがある。他、発熱、下痢、発疹、咳などに現れることもある。また、老廃物が尿として排出されるため、その色が濃くなったりする。その他にも、主訴となる症状が一過的にぶり返したかのように見える場合もある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E8%BB%A2%E5%8F%8D%E5%BF%9C

上述の、先日のブログでも言及・指摘したとおり、ここで紹介されている「薬によって瞑眩が起きなかったら…云々」という文章は、『尚書』からの文章ですから、医学書ではなくて、政治的な話が書いてある本の一部です。つまり、薬=耳に痛い諫言、ということになります。その言葉を引っ張ってきた吉益東洞は、それを診療の現場にあてて語ったり書いたりしていた、という話になっています。ほんとうに大丈夫だったのか?とは思いますが…。一応、そのような「一過性の症状が出現することがある」ということや、症状が解消したら、もともとの病態が改善した、ということも書いてある記録があります。

ただし、臨床をやっていて、本当にいろいろと悩ましいのは、突然、いろいろな症状が出てきたときに、それを全て「瞑眩」としてよいのかどうか、という所です。
単に治療方針を間違っていたために、症状が悪化した場合に、それを「瞑眩反応です」という説明をして、その方針のままでひたすら突き進むように、とおっしゃる方が一部にいらっしゃるらしいのです。

一過性の病態の変化なのか、それとも、治療の方針が間違っているのか…?
シンプルに症状が改善しているのか、悪化しているのか、だけを見て判定すれば良い、という話ではないので、なかなか難しいところです。

わたしは、瞑眩の反応について、ある場合もあるし、ない場合もある、と考えています。
なるべくなら、あまり強く出てこないようにしながら、診療を続けたいところですが…。

漢方の師匠に会って、指圧だか按摩だか、というのをなんとなく覚え始めていた頃の思い出話をします。
実家に帰ると、母がうまいこと、練習台になるような方を引っ張ってきてくれていました。ちょうど当時、50歳前後だったのだろうと思いますが、典型的に「五十肩」の方々。そして、そんな方が良くなった…という話が伝わると、もうちょっとしんどい方々。

今でも覚えているのは、そのお一人が「身体の左側(右側だったかもしれません。左右はちょっと覚えていないのですが)に、ハリガネが入ったみたいで、身体が重たくて、重たくて…」というお話をされていらっしゃったこと。みせていただくと、おっしゃっている側はむしろ緊張が軽くて、自覚症状の無い側に強い緊張とコリが山盛りあったのでした。
なにしろ、漢方の師匠の背中を指圧だか按摩だかしはじめると、2−3時間は当たり前にやっていた頃の話ですから、触れたコリは全部ほぐして、緩めていく…!というくらいに時間をかけて、じっくりと取り組んだのですが…。今から考えると、それを受けておられた方、本当によく我慢されていたなあ…と思います。
そんな形で、「おっしゃっていたのと、反対側でしたねえ」なんて言いながら、身体を一通り緩めるような形にして帰って頂いたのですが、その後日譚があります。

「その後、1週間くらい、もう、揉まれたあとの部分が全部、むしろこちらにハリガネが入っているのかと思うくらい、痛くて、いたくて。」

揉み返しだったのでしょう。かなりきついことをやっていたようです。若気の至りというのは怖いものです。

「で、そのあと、ふと気づいたら、もともとのハリガネみたいな症状がすっかり無くなっていた」

ということで、結果としては、症状改善、というところにたどり着いたのだ、そうです。
お話を伺って「よかった」と言ってしまって良いのかどうか。

こうしたコリをほぐしていくプロセスの中で、痛みを強く感じるようになられることも、あります。
いわゆる揉み返し的な症状だったでしょう。こういう経過を辿ったことが判明していたら、その後に、遡って、あれは「瞑眩反応」であった、と言っても差し支えなかったのかもしれません。
それでも、こういう激烈な症状が出る、ということであれば、それを事前にお伝えするべきだったのでしょう。
当時のわたしは、それを予見できていませんでしたので、そもそも、事前に伝える、なんていう選択肢はなかったわけです。

肩こりなど、筋肉の緊張に伴う不快感とか痛みとか、っていうのは、どうやら、重症な形で慢性化すると、「感じなくなる」らしいです。そして、そこから症状が改善してくるタイミングで改めて「肩がこってきた」と自覚が出てくる様子があります。
肩こりを感じたことがない、とおっしゃる方の多くは、「振り切れていて、自覚が無い」タイプでいらっしゃる、というのがわたしの観察の結論です。ごくごく稀に、本当に肩こりをお持ちじゃない方、いらっしゃいますが。
そんな「感じたことがない」症状だったら、放置しておいたら良いでしょうに、という考え方もあると思います。わたしもそう思います。が、他の症状と絡まり合うことで、不調の原因になっていたりします。

これらの緊張とコリを緩めていくタイミングで、やはり、肩こり「感」が強く出てくる、ということが、時々あります。

それを「瞑眩」とか「好転反応」と呼ぶのか?と訊かれると、ちょっと難しいように思います。うーん。好転反応とは呼ばない気がします。でも、自覚的には「症状が悪くなった」と感じられる方もあるでしょう。(肩こり知らずの方の肩首を揉んだら、肩こりを自覚するようになってしまった…という文句を言われたこともありましたっけ。)

ひとの身体としては、そのような経過を辿ることがあります、ということを、ご理解いただけたら、と思います。