よくなる方法はなんでも良い

体調が思わしくない、とか、いろいろしんどい、とかっていう方がいらっしゃったとして、その方が良くなる方法っていうのは、わたしはどんな方法であっても良いと思っています。

西洋医学の治療で元気になる方もあるだろうし、鍼灸がしっくり来た、という方もあるでしょう。あるいは、ご祈祷に行ったら元気になりました、という方だってあるかもしれない。

ひょっとすると、そういう「他の人のなんとやら」ではなくて、自分で頑張っているうちに元気になった、というようなことだって、あるかもしれません。

どこかの宗教家が壺を売っていて、それに一目惚れして、買って帰って家に置いておいたら、なんだか体調が良くなった、なんていうことがあっても良いと思いますし、壺だけじゃなくて、好きな絵を買ったら元気になった、でも良いのだ、とわたしは思っています。

ひとの人生っていうのは、そういう自由度がけっこう、あっていいのだと思っています。

一方で、治療を提供する側からしてみたら、「なんでもあり」では困るわけです。ちゃんと一定の品質を提供しなければなりませんから「なぜか分からないけれど治った」なんていうことがあってもらうと、ちょっと困るわけです。

場合によっては、治療しても改善しない、ということだってあるわけですから、その辺もきっちり説明しておかねばならない、というのが、資格持ちには要請されています。

一縷の望みをかけて縋ってくる、なんていう方を騙してお金を巻き上げるというような、悪い人も時々はいるわけですが、そういうのと一緒になるような話ではいけません。

「わたしはこれで元気になったから」という方法を、他人に押しつける、というのも、ちょっと問題がある行動になるのだと思います。

とはいえ、これは「治療する側」のスタンスです。

もちろん、治療を受ける方も、しっかり調べて、妙な「自称治療家」に高いお金をふんだくられないように気をつけていただきたいところですが、それ以外においては、治るために何をしたって、良いのだと思っていただくことで、気持ちが楽になる方もあるだろうと思います。

もちろん、かかりつけの先生がいらっしゃるなら、その先生と上手に相談していただくとか、こういうことをやっています、という報告をしていただくとか、っていうのは大事なことですので、お忘れないようにお願いいたします。