よげんと身体の症状

以前、どこかに書いたような気がする話ではあるのですが、きっと久しぶりに触れる話ですし、何度書いておいても良いと思うので、あらためて書いておこうと思うことがあります。
よげんしゃの話。
よげんしゃ、っていうのは、神から言葉を預かった系統の「預言者」と、未来予測をする系統の「予言者」がいるらしいです。
まあ、この分類じたいが、そもそも日本語だけの話だったりするみたいですが。
社会的な問題では、時々、新興宗教の教祖が「世界の終焉が来る!」と大騒ぎする、という話があったりします。そうやって、信者さんたちは、みな集まって、なんだかお祈りの会をしていたりするのですが…。
世界の終焉、ぜんぜん来ないじゃない?って思うのですけれど、教祖の方は「わたしたちが祈ったおかげだ」と胸を張る、という形までワンセットだったりするようです。
個人の不幸について、「それは信仰が足りないからだ」というような形でおっしゃる教祖様も時々おられるのだとか、聞いたことがあります。
それで、どんどんお布施をしたり…とか…っていうような生活になっておられることもあるのだとか。本当かしら。
不幸を吸い込む壺、みたいなのを、「これを買えば」なんていう話もありそうですが…これも、じゃあ何か起こった時には?って話になると、難しいですよねえ。
不幸を吸い込む壺、効果なかったじゃないか!って言いたくなりますけれど、「容量がいっぱいになるほど吸い込んでいたから」とかそういう説明されたら、うっかり納得してしまいそうなのかもしれません。
大きく、社会全体のことを、じゃなくて、身体のことについての「よげん」をおっしゃる方になると、わりとあちらこちらにいらっしゃるようです。
そういう方の話はけっこう否定しづらいことがあります。
たとえば、アトピー系の話でけっこうあるのが「ステロイドをやめましょう!」的な話。
ステロイドの長期連用は、皮膚が薄くなったりするので、確かにいろいろと難しい話ではあるのですが、だからといって、今まで使っていた方が、急になにもかもやめる、というような極端なことをすると、体調の変化が大きく出ます。
じゃあ、そうやって症状が悪化した時に、それをどう考えるのか?
「好転反応だ」とおっしゃる方があります。
好転反応、というのも、いろいろと議論があって、賛否が分かれる話ではあるのですが、一部で「瞑眩」と呼ばれて、それなりの取り扱いがされていたりします。
じゃあ、だれが、どういう基準で、「これは症状の悪化。やっぱり方針が間違っていた」とか「これは好転反応だから、今の方針をもうしばらく続けるのが大事」とかって決めるのか。
いつまでその症状が出ることを許容するのか。
まんいち、その判断が間違っていたとして、それをどのように修正するのか。
間違った判断を根拠として頑張っておられた患者さんの、機会損失をどう補填することができるのか。
そういう、ある種の現実的な話ができずに、ひたすら「好転反応だ」とおっしゃるようであれば、それは、交渉の余地が無い話になります。
交渉の余地が無い話は、きっと、あまり良いことではないのでしょう。
診療をしていると、見立てを間違える、ということもあります。
見立てをある種の仮説であるとして、その仮説であるなら、この方針でいけば、いつ頃こうなって…という見通しを持って、仮にいまこの方針の治療をしましょう…、ということを行いつつ、効果判定をする、というのが、診療だと思っています。
なかなか、見立てがうまく立たない方だったり、治療が思ったように進まない方もありますが、そこはまさしく試行錯誤をさせていただくしかなかったりします。
そういう試行錯誤の中には、「今は処方を変更してみる時」というのもあれば、「もうちょっと、同じ処方を使ってみる時」というのも、たしかにあります。
そのあたりは、診療の時にご相談しつつ、ということになるのですが…。
いつも、難しいなあ、と思いつつ、診療しているところです。













