わたしたちは何にあたまを使っているのか
あたまの使いすぎが良くない…という話を、先日から続けています。
あたまを使いすぎると胃腸の力が落ちる。
あたまを使いすぎると、あたまに熱がこもって、いろいろな不調が出てくる。
ときどき「そんなにあたまを使っているつもりはないんですけれど…」とおっしゃる方もおられます。が、ずいぶんと使っておられたりするわけで。
何にあたまを使っておられるのでしょうか?
頭痛の原因としても挙げられるのは、第一には「目の使いすぎ」というのがありそうです。

現代社会は本当に目の働きに依存した形で出来ている…と言えるような気がします。
いつ頃からでしょうか…?
テレビが放送されはじめてから、きっと、目からの情報の量は格段に増えた、と思います。最近では、インターネットとスマートフォンの影響もあるのでしょう。
目の使いすぎは、本当にあたまの疲れを引き起こします。
また、一部では、ご本人の自覚があるか、それともあまり気づいておられないか、は別として視覚過敏、という症状をお持ちの方もいらっしゃいます。目からの情報が、とても多くなっておられるタイプの方がいらっしゃるように見受けられます。
こうした視覚過敏の方は、色つきのメガネを使っていただく、などで、多少なりあたまの不調が改善することもあるようです。
目の使いすぎにもいろいろありますが、最近気になるのは、「外眼筋の使いすぎ」のパターンです。
めまいの一部が、この外眼筋の不調から来ておられるのではないか、と思うような方が時々いらっしゃいます。そういう方には目の体操をお薦めしています。
そもそも、脊椎動物に目という器官が作られて以降、「光源を見つめる」という動作が慢性化するような状況は今までに無かったわけです。太陽も、火も、そんなに見つめる対象ではありませんでした。
ところが、ブラウン管ができてから、「発光するもの」をそのまま見つめることが増えました。液晶画面になってからはさらに増えたのかもしれません。
また、スマートフォンの普及からこちら、手元の画面を覗き込むことも増えました。
ひとの目は、遠くを見ている時の方が負担が軽いわけですが、その目で、常に近くを、さらに言うなら光源を見つめている、というのが今の状況です。
これはやはり、目に負担がかかっても仕方がないわけです。
そして、目の負担は、その大部分があたまの負担になってのしかかってきます。
目を使う負担は、あたまの、後ろの方に見られることが多いのですが、この部分に出てくるあたまの負荷、として、もうひとつ、「ひとの目を気にする」という状況があります。
ひとからどう見られているのか?ということをシミュレーションするときに、視覚野を使うからでしょうか?目の負担とあわせて、左側に出ることが多いようです。
先日もちらっと書きましたが、一人反省会をされている方は、この視覚野よりももう少し前側の、左側に薄い緊張がカードの束のように積み重なって感じられるような、独特の緊張があったりします。
シミュレーションを繰り返しておられる方が、その反対側、右側に似たような緊張を出しておられるのと対照的でした。
他に、あたまの負担になっているものは、「他人から植え付けられた価値観」とか、ある種の「呪いの言葉」とかでしょうか。これは芯の方にかたい緊張として見られることがあります。「○○でなければならない」とか「あなたは○○しかできないのだから…」というようなものがずーっとあたまの中を占拠していた…というようなことを感じることもあります。
左右の側頭部にこまごまとした用事が積み重なって、あたまが一杯になっておられる方もけっこうあります。先々の段取りを考えてばかりだと、「今、ここ」の大事なことを取りこぼしたり、あるいは気持ちが先に行きすぎて、それが自分自身の負担になったりすることだって、あります。
上手に「今、ここ」に焦点を向けていただきたいものです。
短期記憶をこぼさないように…と抱え続けておられる方も時々いらっしゃいました。ある程度詰め込んでおいておくと、それらの中から思いがけない関連性とか、法則が見出されることもあるようで、ずーっと、じーっと考える、ということを完全に悪いこと、としてしまうのも間違いではあるのですが、あたまには負担がかかっていますので、必要以上に負担がかからないように、良いところで切り上げていただきたいものです。