カウンセリングはなぜ効くのか

わたしが医学部生であった頃、総合大学の学生でしたので、あちらこちらの講義にもぐり込み、医学とは直接関係ない見識を拡げていました。その中に、臨床心理学系の講義がありました。山中康裕先生や、東山紘久先生には、そういった、もぐり込んだ講義などでご縁を頂きました。
そのうち、お二人で(前期・後期にわけて)、教養科目の講義を担当されました。大講義室に満員だったのを覚えています。
そんな東山先生が、講義でおっしゃった話の中に「心の理論」という言葉がありました。
カウンセラーを始めて、しばらくは、なぜかクライアントさんが良くなっていく。で、自分も嬉しいし、熱心に話を聞いている。ところが、ある程度経験を重ねていくと、話を聞くだけではクライアントさんが改善しない…という時期が出てくる。そういう時になると、今度は熱意ではない、何かが必要になる。それを「心の理論」と呼ぶのだ…。
…と、そんな話でした。
なにも理論もへったくれも無い、若いがむしゃらなカウンセラーが、話を聞いているだけで、どうしてクライアントさんが良くなっていくのか…?なぜ、経験を重ねていくと、単純に改善率が上がるのではなくて、むしろ下がるのか…?割といろいろ、不思議なことがあります。
東山先生と、山中先生お二人に共通のお師匠さまにあたるのが、文化庁長官もおつとめになった、故・河合隼雄氏です。
日本に臨床心理学を持ち込んだのが、氏である、とされているところもありますので、臨床心理学の大ボスみたいな方です。実際に講演会などで見かけると、ずいぶんと恰幅の良い、マフィアの親分のような雰囲気でした。同時にご自身では「ウソつきクラブの会長」を名乗っており、たっぷりとユーモアを含んだ講演で、聴衆は大いに笑うような話をされていました。とある講演会では「ひとさまが『何かをする』ことを仕事にしているので、わたしは『何もしない』ことを仕事にしてみることにした…」と話をなさっていました。カウンセリングというのは、「何もしない」ことがその中心にあるのだ…という。
何もしない、って言っても、そりゃ何かはしているのだろうに…と講演を聴きながら考えていて、講演の終わりに質問をしようと思っていたら、そのままスッと退出されたので、わたしの質問が宙ぶらりんになってしまったのを今でも覚えています。
この「何かしているはずなのに、何もしない、とは一体どういうことか?」という謎は、わたしの心に突き刺さったまま、ずいぶん長い月日が経ちました。
カウンセリングの効果について、分析した報告が論文で出ているようです。カウンセリングの効果は「技法によらず、ある程度同等」というのが、その論文の結論めいたものになっているそうです。
じゃあ、カウンセリングは、何が、どのように効果的なのか?
その話をする前に、少し「ホメオパシー」の話をしてみたいと思います。英国ではホメオパシーが保険適用される診療になっている、という話を聞いたことがあります。
ホメオパシーの理屈にはいろいろあるみたいですが、大まかには、症状を引き起こす「毒」をとてつもなく薄く希釈した水ないし、その水をしみこませた砂糖粒(レメディ)を投与することで、類似の症状が出ている人を治療することができる、という思想に基づいた診療です。
計算上は、毒の分子が1つも入っていないくらいまで希釈しているので、プラセボとの違いを科学的に説明することはできません。
どうしてこのプラセボめいたレメディを内服することが有効なのか?という話がまさに「カウンセリングがなぜ効くのか」に通底するような気がするのです。
ホメオパシーの診療では、レメディの効用について網羅的に記載された、大事典のような本があるのだそうです。ここには、たくさんのレメディと、それをのんだ時に発生する症状…ホメオパシー理論では、同時に、その症状があるときにレメディを内服すれば、その症状が消失すると考えます…が記載されているのだそうです。
この大辞典のデータを作る上で、たくさんの人にレメディを内服してもらって、発生した症状を聞き取るのだそうです。そして、治療では、実際に治療を受けに来た人の症状を詳細に聞き出して、なるべく、多様な症状の全てが一致するような、そういう経験の記録を探し出す。まさにこれ!というのが見つかるまで、えんえん、この事典をめくってはひっくり返すのではないか、と思います。
そうやって探し出された「今のあなたにぴったりなレメディ」というものがあったとき、そのレメディに物質的な意味があるのかどうか、はすでに関係が無いのかもしれません。
つまり、「他でもない、あなただけに訪れたその症状」に熱心に耳を傾けてくれる人があって、その人が、症状を全て受け止めてくれて、かつ、「その特異な症状に苦しんでいたのはあなた一人ではない」ということを、分厚い大事典でもって請け合ってくれる。
この、個人としての特別さを尊重してくれつつ、しかも「あなた独りだけが孤独に苦しんでいるわけではない」という、孤独を癒やす情報を提示してくれる、ということが、「ひとの存在を認める」という根源的なしぐさになっているわけです。
なので、ホメオパシーの効果を改めて評価しようと、調査研究されたのだそうですが、プラセボとの差が認められないのだそうです。そりゃ、おざなりな診療で「なに?頭痛ならそれ飲んでおいたら治るから」という形では、改善しないでしょうし、逆にセッティングがしっかりしているなら、プラセボでも似たような効果が出るでしょうから。
「講釈師、見てきたような嘘を言い」といいますが、ここまで書いてきたことは、わたしが聞いた、ホメオパシーの理屈から「こうなんじゃないかな?」と想像したものです。実際の臨床をどのようになさっているのか、については、実は存じあげません。でも、そんなに外れていないんだろうな、という気がしています。
カウンセリングが効く理由というのも、クライアントさんが「ほかでもない、自分の声に真摯に耳を傾けてくれる」カウンセラーに、「あなたの苦しみは、極めて個別的にあなた個有のものであるけれど、同時に、同じような苦しみを通り抜けた人がいます」というメッセージを受け取っているから、なのかもしれないとわたしは思っています。