テレビにまつわる思い出

今の時代なら、そんなに珍しい話ではなくなったのですけれど、昭和の終わりごろ、私の家にはテレビがありませんでした。

(ずーっと無かったわけではなくて、一時的にテレビが設置されたり、というのはあったのですが、そのうちまた無くなる、ということがあったように記憶しています)

小学生の時なんかは、テレビが無い、ということを理解してもらうまでに、本当に一苦労したものでした。

「おまえんち、テレビが無いの?じゃあニュースはどうやって知るのさ?新聞か?」ってな話を一体どのくらい繰り返したのか、と思います。しかも新聞も当時とっていなかったのですから、その返事に相手は目を白黒させていたわけでした。

テレビが無い、ということがそれなりにスンナリと受け入れられるようになったのは、秋篠宮殿下のご成婚があって以降のことになります。川島家にも…いや、川島家に「は」、ですね…テレビがなかった、という報道がテレビを通じて流布したことで「あ、紀子様と一緒だったのね」と、テレビの無い家庭、というのが、ちょっと高貴な雰囲気になりました。

まあ、それまでは納得してもらうのが大変でした。弟は「おまえんとこ、テレビも買えない貧乏人らしいな!」って罵られたことがあったそうで、親に「うちって貧乏なの?」って真顔で心配して訊いてきたこともあったのだそうです。

それから何年も経って、世界の貧困地域の映像を、何かの機会に見ることがありました。その映像では、貧困家庭と言われるお宅に、テレビが置いてあって、「ああ、今はテレビの有無は貧困かどうかの判定には使えなくなったのだなあ」と感慨深いものでした(まあテレビ番組の話でしたから、貧困、という表現じたいが多少まと外れであった可能性もありますけれど)。

テレビのない生活の中で、当時、何を情報源にしていたか、っていうと、主にはラジオ放送、でした。

とはいえ世情には疎い家族で、母は「お米やさんに行ったら、なぜかお客さんがすくなくて、店主がすごい丁寧だったのよね。あとで気づいたのだけれど、ちょうどその日、お米の値上げの日だったらしいのよ」なんて話もしていましたっけ。

おばあちゃんちに行くと、テレビがありましたので、食事時についつい夢中になって、そちらばっかり見てしまったりしていました。
「ちゃんとごはん食べないとテレビのスイッチ切るよ!」って叱られたものでした。

そんな家庭も今では変わり、母の最近の趣味は駅伝を見ること、になりましたので、実家ではテレビ放送を大いに愉しんでいるわけですが、私の今の家はやっぱりテレビを置かずに過ごしています。私の子どもたちは、旅行先の宿ではテレビに釘付けになりますし、最近は動画を見るのに熱心になっているようで、やっぱり映像の影響力っていうのは大きいものだなあ、と感心するばかりです。