パニック対処の選択肢

以前、行動分析学、という話にちょっと触れたことがあります。

得意技のこと

昨年末「得意技の使い過ぎに注意」というブログを書きました。 得意って、いったいどこで判定するんでしょうねえ…? 自分が?それとも周りのひとが? やっぱり、なんらか…

人の行動というのは、その行動に直結する「報酬」によって、「強化」されるので、もしも不適切な行動を「消去」したいと考えるなら、「報酬」を与えてはいけないのだ、という話を、行動分析の講義で聞きました。

たとえば、「だだをこねる」という行動に根負けして、「本人の希望どおりにする」と、「だだをこねたら、希望が通る」という「学習」をするわけです。そうすると、次に、自分の希望を通そうとしたときに「だだをこねる」を選択しがちです。周囲のおとなが、その「だだをこねる」という行動に対して、「報酬」を与えずに、我慢を貫けば、こうした不適切行動は報酬に繋がらない、ということで、「消去」されます。が、本人が「だだをこねる」ことと「報酬」との間に強いひもづけをしている場合などに「これはだだのこねかたが足りないのだ」と理解していたりすると、「だだをこねる」行動がどんどんエスカレートします。ひどくなった「だだをこねる」に耐え切れればなんとか「消去」できるので、まあ良いのですが、本人と周囲の大人のうち、一人でも根負けしてしまうと、この「だだをこねる」をひたすら「強化」してしまうことになります。

対応するおとなが頑張って耐え抜くと、「消去」が実現できるですが、たいていの場合、周囲のおとなは複数です。「だだをこねる」本人にかかわる全員がきっちり一致して耐え抜かねばなりませんから、本当に大変な方法になります。

なので、行動分析学の手法をとっておられる方も「消去」という手段は、現実的ではない場面が多いのだ、と言っておられました。

とはいえ、不適切な行動があると困ります。そういうときは「置換」をするのだそうです。つまり、不適切じゃない行動で、同じ報酬が得られるなら、そちらの行動を強化してゆくのです。

…と、俯瞰的な視野と、行動分析の百戦錬磨な経験があると、こうやって、ひとの行動をなるべく穏当な形にしてゆく、という選択肢をとることができたりします。

現実社会においては、「周囲のおとな」は時と場合によって、別の人物が配置されることになります。なかなか、困った人の困った行動を変更してゆく、ということにはならず、通り一遍の対応…つまり、本人が望んだ報酬を与える形…(パニックに陥り、パニック対処行動をとっている本人に代わって問題解決を手伝ってしまう…)になりがちです。

ひとがパニック状態になったときに、どのような行動をするのか?というのを見ていると、大きくいくつかのパターンに分類できるように思います。

ひとつは「行動が止まってしまう」。止まってしまったまま、何とかなる場面まで耐える形になりがちです。なんとかなる…っていうのは、つまり、思いがけない出来事が「通り過ぎる」までそのまま、という場合と、誰かが気づいて、手助けしてくれる、という場合があるように思います。

もうひとつは「派手な行動をして、人を集める」。こちらは、たとえば暴力とか、暴言などが多くなります。周辺のひとが、その暴力ないし暴言を止めるために介入してくることが多くなりますので、パニックの誘因になった出来事を遠ざけてくれたり、あるいは問題解決をしてくれたり、という形でパニックの場面が解消できます。

これら2つの中間的な方法として「泣く」などというものもあります。これも周りのおとなが介入してくることを期待した対処方法なのだろうと思います。泣き方も、静かにシクシク泣く、から、大声でワンワン泣くまでのバリエーションがありそうです。

もちろん、パニック状態に陥ったところから、自分でなんとか建て直して解決する、っていう力業を発揮できる、有能な方もまれにはいらっしゃるのだろうと思います。とはいえ、なかなか誰でもができることではありません。

行動分析的な話をするならば、自分がそれで上手いことパニックからの離脱ができた、という経験があったばあい、それは大きな「報酬」になっています。次も、きっと同じ行動をすることになるわけです。

つまり、自分がパニックになったときに、「大暴れ」したら、周りのおとなが介入して、パニック場面を解消してくれた、という学習を積み重ねると、いくつになっても、パニックに直面すると、「大暴れ」するようになるわけです。

滅多にパニック状態に陥らない人なら、パニック対処の行動が「大暴れ」であったとしても、周囲に迷惑をかける頻度が低い、ということで、ダメージは少なめなのかもしれませんが、このあたりも人によってだいぶ異なります。

昔、働いていた時に上司のひとりが、わりとパニック状態になりやすい気質の方で、物理的な暴力はなかったのですが、ひたすら暴言が垂れ流しになる、というパターンの方でした。わりと神経を使う作業をしている真っ最中に暴言モードになられた経験があります。その時には、ちょっと対処に苦労しました。

できたら、対処方法が、周りに迷惑をかけない形であってほしい…と思うのですが、これはご本人の成育された環境にもよるのだろうと思います。つまり、じっと耐えている間に、誰かが気づいて、その状況を解消してくれるような、継続的で注意深いケアが十分に与えられていたなら、ひょっとすると、じっと耐える、という対処が強化されるかもしれません。

じっと耐えている間は何の救援も無かった、という方の場合は「耐えているだけでは対処ができない」という学習をされるのだろうと思います。つまり、暴力や暴言は、ある種「救援を呼ぶ狼煙」なわけです。狼煙をあげられても周囲は煙たいだけなのですが。

できることなら、パニック状態に陥らずに済ませて頂きたいところですが、そうも言っていられないのが人生です。たとえパニック状態になったとしても、上手に救援を呼ぶ方法…上手な狼煙のあげかた…を身につけていただきたいものです。