ボディートークの話(背中を読む)

わたしのボディートークの師匠である、増田明氏は、もともと高校で音楽の先生をやっていて…という話をちょっと前に書きました。

「師匠のこと、そしてボディートークのこと」

いちばん最初にみつけたのが「失恋のシコリ」だった、という話になっています。まあ関西人ですから、話を盛っているのかもしれませんけれど…。身体はいろいろおしゃべりをする、というのがボディートークのそもそもの意味ですが、特に背中はいろいろと心の問題が表面に出てきている、と教えてもらいました。

ボディートークのプログラムの中には「心身一如のからだほぐし」というものがあります。受け手はうつ伏せになって、背中を中心に緊張をほぐしていくことで、心も身体も元気になっていく、というのがコンセプトですが、場合によっては、からだにあらわれている心の問題を、言葉にしてゆく、ということもありました。

例えば、胸椎の4番のところには「言いたいけれど言えなかった」なんていう緊張が積み重なります。胸椎の8番には「怒り」が、9番には「後悔」が。上の方で、肩甲骨が左右から寄っているような場合には「肩身が狭い」状態だったりするわけです。

『ボディートーク入門』にも書いてありますが、師匠が開業にあたり、借金した時には「借金で首が回らない」という実体験をして笑った、という話がありました。

それぞれの緊張やシコリの現れ方とか、その組み合わせとかで、出てくるイメージも異なってきます。

ある方の足先にすごい緊張があるのを見て「ひょっとして、綱渡りでもされているんでしょうか?」って訊かれた方があったのですが、師匠は「いや、綱渡りじゃなくて、これは、薄氷を踏んでいる状態だ」と説明された、という話があります。慎重に進む、そのイメージの違いで、足の緊張の出方も異なるのだ、ということでした。

ある時は失恋のシコリを見つけた…という話から「振られたの?」って訊いたひとがいたのですが、師匠は「これは、そういうのとは違う。たぶん、親友が付き合いはじめた彼を、自分も好きだったんだ、と気づいたのだろう」って読み解きました。

それは、失恋のほかに、友人にたいする気兼ね、というのが強く出ていたから、と説明してもらいましたが、組み合わせや緊張の位置、あるいはその強さで、千差万別なイメージがあるはずなのですが、読み解くことができる…場合があります。

もちろん万能ではありませんから、ある程度背中をみながら、「こういうことってありますか?」って投げかけるわけですけれど。

ボディートークの修行をあるていど済ませて以降、医者をやりながら、そんなに多くの背中を見たわけではないのですが、それでも、こうした蓄積がモノを言ったのか、よほどの事情がありそうな背中、というのは、見るだけでもなんとなくわかるようになってきました。

そういう方に、ぽっと出の医者が、なにを申し上げることができるわけでもないのですけれど、ふと、ご無理なさいませんように、って思いが口をついて出ることはあります。きっと、いろいろな責任を一身に背負っておられるのだろうなあ、と思いながら、そのお身体がしっかり支えられるように、しっかりお休みも摂っていただきたいものだ、と思います。

無理されなければ、まわらない、とおっしゃるのですし、それはそう、だと存じます。が、ここで無理されて、お身体こわされては、本当にますます大変なことになりますので…。