一人反省会は自傷行為
思いがけない出来事が突然、勃発したとき。えてして人は、対応に戸惑うわけです。特に喜ばしいものではなくて、つらい、悲しい出来事になるほど、その瞬間に、思考が、動きが止まってしまう、なんていうこともあります。
「アンガーマネジメントで、6秒怒りを我慢する、じゃない。むしろ瞬発的に怒りを発揮できるようにしておくのが大事だ」というような発言も、Twitterの中ではしばしば見受けられます。
6秒ルールってのはこちら。

わたしは師匠から「怒りはどんなことがあっても抱えてはいけない感情」と教えられて、「怒りをはらう」ことを大事にしてきたので、瞬発的な怒り、っていうものをどう考えるかに悩み(つまり、「肯定するべきなのだろうか、いやでもやっぱり師匠の教えが…」という葛藤)があるのですが、でも、世の中、じぶんが我慢して譲ると、ナメられる、という文化圏もあるようです。
怒りを抱えると、それだけで、自分自身にもダメージが入りますから、なるべくは、怒りを抱え続けない、という形にしたいものです。
ところで。
思いがけない事態で、思考や動きが止まってしまった時のこと。なんとか、その場は平穏に収まった…ような時でも、そこから先で、モヤモヤが残ること、ありませんか。
あの時、ああ言っておけばよかった。
あの時、こうしておけばよかった。
たぶん、そういう形で「モヤモヤ」を抱えているのも、「怒り」の一種なのだろうと思います。こういうモヤモヤの怒りもじぶんの身を焦がします。
そして、もうひとつ。一人反省会をすると、だいたいは、自分自身を責めることになりがちです。「もうちょっとこういうことができたのに、わたしはその時にそれをしなかった」「こういう言葉を言えば良かったのに、わたしはその言葉が思い浮かばなかった」などと言うたびに、それはじぶんで自分を傷つけていることになります。
いわば、自傷行為です。
生きていく上で、どうしても自傷行為が必要、という場合もたしかにあるのだろうと思います。
が、もしも、自傷行為だ、ということに気づかないまま、一人反省会を続けておられるのでしたら、是非、その一人反省会に「これは自傷行為だ」というラベルを貼ってください。
それでも一人反省会が、必要な場合もあります。万が一にでも起こる「次の似たような場面」に備える、という意味では、シミュレーションも大事なのかもしれません。
が、くれぐれも、建設的な方向に反省していただきたいし、できるなら、自分が傷つかないようにしていただきたい。
どうしても、自傷行為みたいに、自分自身を責めて、できなかった自分をいじめるようなことになりがちですので、くれぐれも、ご注意くださいませ。
あ。そうそう。
「どんな時にも、怒りはいけない」と教えをくださった師匠ですが、最近、「怒りはクリエイティビティに繋がることもある」ってことで、怒りを原動力にした、創造性というものを認めておられるようです。師匠の教えも変遷する、ということで、これはこれで学ぶべきことなのですが…。創作活動などのために、と、本当に怒りとがっぷり四つで組みあって向き合おうとすると、とってもしんどいことになりかねません。あまり心や身体に負担がかからないところ、つまり、ほどほどにしておいて頂きたいものです。