代替医療のはなし
漢方の診療や鍼灸っていうのは、現代日本においては、かろうじて「医療」の枠組みに入っているものだろうと思います。
一方で世の中には「代替医療(だいたいいりょう)」と呼ばれるものがあります。最近は、代替医療、と呼ばずに「補完医療(ほかんいりょう)」などという表現もされます。たとえば「補完代替医療の概要」といった文章が書かれています。
補完代替医療のかっちりした定義は難しいのだろうと思います。まあ「だいたいいりょう」ですから「だいたいのところで」考えていただくのが良い…なんていうダジャレでは済まないのですが…。なお、欧米では「CAM」などと呼ぶようです。
こういう補完代替医療の中に、漢方や鍼灸は位置づけられることも多い、というのが世界的な評価のようです。まあ漢方はもともとがオリエンタルな扱いですから、欧米では有効性の「発見」が近年されているとはいえ、主流の医療体系ではありません。
代替医療については、『代替医療解剖』という、一般向けになっている書籍もあります。それなりの市場規模になってきた、代替医療(と呼ばれるものの中にも様々な「治療法」があります)の中から、欧米でよく行われているであろう内容について、調査し、その評価を下したものになりますが、全体としては代替医療に対して批判的な結論のようです。
ここには漢方はあまり焦点を当てられた形ではでてきません。
いわゆる西洋医学の枠組みと、補完代替医療の枠組みを見比べて、何が違うのか?って話を、端的に書かれていた先生がいらっしゃいました。ちょっと手元に、その本が見当たりませんでしたので、うろ覚えなのですが「補完代替医療は「気」とか「生命力」というような「目に見えないなにものか」を前提にしている」というような文章でした。
この、目に見えないなにものか、というのは、取り扱いが難しいものでもあります。つまり、反証ができない、という形で言い出した人の主張が絶対的になってしまう場合がある、ということです。
気の話ではないのですが、一時期「深層心理」という言葉が使われていたことがあります。これは「あなた自身も自覚していない、あなたの心の動き」みたいな意味合いで用いられていたのですが「表の意識では否定するだろうけれど、あなたの深層心理はそう考えているんだ」という形で無理矢理自説を押しつける、というトラブルがしばしば発生した、と耳にしています。
似たようなことが、気のような、見えないなにものか、に起こってしまうと、治療家とそれを受ける人との、不健全な関係になりかねません。反証可能性を保ちつつ、同時に、治療の効果を最大化するような、緊張を維持しつつ、治療を行うことが必要なのだと、わたしは考えています。