余人を以て代えがたし

クリニックを開業するときに、どのような方針で診療をしてゆくのか?というのを定めました。
当院の場合は「他の先生がやってくださることはやらない」という、極めて傲岸不遜とも言えるスタイルを選ぶことにしたのでした。
これを、いわゆる保険医療の文脈の中で考えると、とてもおかしな話だ、ということになります。
国民皆保険制度を実現するにあたり、当時の主導者は「全国津々浦々、どこであっても、同じ医療が同じ費用で受診できる」ということを目指しました。
こうした方向性は「標準化」という言葉で表現されます。
手順を標準化し、技術を標準化し、そして、コストを標準化してゆく。
いわゆる健康保険を用いた「保険診療」では、受診者の方から3割(高齢者は2割)の自己負担を頂いていますが、残りの7割ないし8割の金額を、保険組合に請求することになっています。ここしばらく何度か書いていますけれど、保険診療において請求できる項目というのは「標準化」され、実施したことがきっちり証明できる(…つまり、検査をしたなら、検査をした、という記録がきちんと残るもの。レントゲンを撮影したなら、画像が残ります。採血をしたなら、検査結果が残ります。そういう「実施した根拠」がしっかり残っていることが重視されるわけです…)行為に限られるわけです。
いちぶ、「実施したかどうか、医師がカルテに記載している内容以外に証明する方法が無い、あるいは証明そのものを求めていない」項目がまだ残っていますが、こうした項目は少しずつ、請求できる施設の条件が厳しくなってきたり、点数が削減されてきたりしています。今後、こうした項目については、さらに評価・算定が厳しくなっていくのだろうと思います。
当院を受診してくださっている方はご存知だと思いますが、わたしがクリニックで行っていることは、「話を聞く」こと「身体に触れる」ことを中心として、いずれも「実施したかどうかが、記録以外に証拠の残らない」行為です。
こうした「保険診療では評価されない部分を重視する」診療スタイルは、現行の「医療の標準化」の流れに逆行するものであるのだろうと思います。
ですが、わたしにとっては、その「保険診療では評価されていない」部分こそが、医療におけるいちばん大事なポイントだ、と思い込んでしまったわけですから、仕方ありません。
そして、こうした「話を聞く」こと「身体に触れる」ことの際に、わたしからお声かけする言葉、というのも、これまた標準化された医療では許容されない行為だろうと思っています。
クリニックの診察室で使う言葉については、以前も「ことばの賞味期限」という形で書きました。
こうした「ここだけの言葉」「今だけの物語」というのは、「いつでも、どこでも、誰とでも」が前提である「標準化」という動きから見れば、最も遠いところにある行為である、と言えるでしょう。
ですが「臨床」というのは、この「いま、ここ」にしか現出しない、その密度の中に発生するのだ、とわたしは考えています。
「いま、ここ」を捨象した「標準的な」行為だけでなされる医療行為だけになったとたん、きっと、あっという間にピントがぼやけてしまいます。つまり、受診された方のおひとりずつに、焦点があわないわけです。
ほかの誰でもなくて、「あなた」に、という臨床ではなくて、「他の誰でもよい」臨床、になってしまうわけです。
良い薬がたくさんありますから、そのくらいのピントのずれであれば、全然気にならないまま、症状が改善してゆく方も多いのだろうと思います。それで困っていることがなければ、それは「科学」と「医学」そして、「薬学」が到達した、ある種理想的な状況の達成ですから、良いことです。
検査で異常がないのに、つらい、しんどい、という方は、そうした「科学的に正しい」医療だけでは楽にならなかった、ごく一部の方なのだろうと思います。そういう方には、ちゃんとピントを合わせること、「今ここ」の密度の中で臨床に立つことが必要になります。わたしがやっているのは、いわばそういう領域なのだと考えています。
ところで。
余人を以て代えがたし、ということになると、にしむらは、体調不良で診療をお休みする、ということが出来なくなります。
今の所、ありがたい事にそのような事態は起こさずに済んでいますが、医者の不養生にならないように、と気をつけております。
いずれは、臨床の瞬間と、「いま、ここ」の密度の中で、かける言葉の選び方やタイミングといった技術について、言語化できるようになるとか、あるいは伝達できるようになる、ということを考えねばならないのだろうと思いますが、なかなか難しいところではあります。
この「声かけ」の部分でいちばん学んだのは、精神科医の師匠のオープンカウンセリングだったのだろうと思います。師匠の「間の取り方」「相づちの入れ方」「話題の選び方」については、もう、本当に芸術的だなあと思うことがしばしばでしたので…。
先日久しぶりに伺ったオープンカウンセリングで、改めて、師匠のすごさと、そして、そこからずいぶんといろいろ頂いていた、ということを認識したのでした。














