占いと深層心理

ボディートークの増田明氏は、わたしが師と仰ぐ方のひとりなのですが、昔、高校で音楽の先生をなさっていました。当時、音楽教室から机と椅子を取り除き、型破りな授業をしておられたそうです。
当時はまだ昭和の時代だったはずですから、今では考えられないこともいろいろありますが、合唱の指導をしている時に、声が出にくい女子生徒の背中に触れて、そこに「シコリ」があるのをみつけた、という話をしばしばしてくださいました。
胸椎の3番の左側に出る、そのシコリを、ボディートークでは、「失恋のシコリ」と呼びます。失恋の思いがあると、ここに筋肉の緊張が出るのだ、というのが、増田氏の発見、だったのだろうと思います。
「失恋したんだ」みたいなことを、増田氏は言い当てたらしい…です。シコリの位置と、感情との論理的な関連性についてはまだ確立させておられなかったのでしょうが、何か感じ取るものがあったのでしょうか。
以後、「あの音楽の先生は恋愛占いができる」ということで、休み時間や放課後には訪問する生徒が絶えなかったそうです。長い行列ができていた、とか。
身体に触れることで、ひとの心の状況がある程度わかる、というのは、いわば占いみたいな部分があります。占い、というよりはもう少し根拠がある、って言いたくなる部分もありますが、まあ似たようなものだと思っていただいている方が、害が少ないのかもしれません。
というのは、占いとか、素人の心理分析的なセッションなどで時々起こる「衝突」というのがある、とわたしは考えているからです。
「あなたは○○だと思っていますよね」と、半ば断定するような話を、占い師さんがなさる、ということがあったりします。
受けている方は、意識の水準で「いや、そんなこと思っていません」と否定することだってあります。そうした時に、占い師さんが「その否定は、図星をつかれた時の『抵抗』です。あなたは実は深層心理で、○○だと思っているのです!」みたいな形で押し切る、というような、そういう事って、場合によっては起こるわけです。
じゃあ、本当にその方が、○○だと思っておられたのか?というあたりは、もう、分からなくなってしまいます。
身体のどこかに出ている、なんらかのシコリや、その他の緊張などは、心の動きを表している…こともありますし、あるいは単純に身体の酷使による緊張であることも、あります。
わたしも診察の時に触れていると、なんらかの風景が「見えて」くるようなことがあります。実際に見えるわけではなくて、身体を通した心象風景が、わたしの中に浮かび上がる、というようなことが起こるわけです。
身体に基づいた風景ですから、なんらかの「思い当たること」がある場合が多いのですが、必ずしもわたしが投げかけた言葉が正鵠を射ているとも限りません。このあたり、わたしは、断言をするのではなくて、浮かび上がった心象風景を「こんなものが立ち上がってきたんですけれど…」とふんわり投げかけることにしています。
そうすると、思い当たることがあれば、それをきっかけに、変わって行かれることもしばしばあります。具体的な内容を口にされなくても、ご自身が納得されると、変化することだってあります。
断言できる解釈、というのは、けっこう魅力的で、気持ちが弱まっているときには、そのような言い切ったアドバイス、みたいなものが有効だったりします。
とはいえ、ひとは皆、自分の課題を自分で解決できる力を持っています。わたしは、ご自身の力で解決することの後押しをさせていただいているのだ、とそのように思いますから、ご本人の心のあり方を尊重するような診療になるよう、心がけています。