図と地の入れ替わり
ルビンの壺という、有名な錯視があります。
(画像はウィキペディアからお借りしました。)
「ルビンの壺」は「壺」ですから、真ん中に壺がある、という絵に見えるのですが、しばらく見ていると、ふと、人がふたり、向かい合っているシルエットにも見えてきたりします。
じゃあ、人のシルエットを描いた絵なのか?って思っていると、また壺の絵に見えてきたりします。
この場合、壺が見えている時にはその壺の部分を「図」と呼び、その他の部分のことを「地」と呼びます。地ってのは、まあ、背景みたいなもの、ってことになります。
人のシルエットが見えている時には、真ん中の部分が「地」になって、両側のシルエット部分を「図」と呼ぶことになるわけですから、ある時は「図」であった場所が、別の見方をすると、「地」になって、それまでは「地」だった場所が「図」になる、という話です。
本当の「主役」はどっちにあるのか、って考え込みたいのですが、身も蓋もないことをいうと、そもそも「錯視」ですから、どちらが正しい、でもなくて、主役が行ったり来たりする絵である、ってわけです。
人の生活の中にも、「図」と「地」がある、と考えていただくと、ひょっとすると、いろいろがわかりやすくなるかな、っって考えてみました。
たとえば、周期的な体調の変化なんかも、「背景=地」的な「いつも」があって、「図」的な「特殊な状況」っていうのがある、って考えることができるのだろう、と思います。
わたしの臨床の経験で、いちばん大きな「図」と「地」の転換は、月経前症候群(PMS)の話を考え続けていたときでした。以前のブログにもちょっとだけそのことを書いています。
それまでは「症状が出ているとき=月経前」が「異常事態が発生している時期」だと思っていたのですが、その図と地を転換させたときに、わたしの中では、月経前症候群(PMS)の病態とホルモンの作用がかちりとはまって、理解できた、のです。
つまり、「症状が出ているとき=月経前」が「普段の時期」で、その他の「症状が出ていない時」は、むしろ「体調に下駄を履いて、無理をしている、無理ができる、という特殊な時」という形で考えるのです。
月経前の「不調が出現した状態」のことを「普段の体調」と考えていただき、エストロゲンが分泌されて「体調が良くて、頑張れる状態」を「一時的に特殊な状態になっている」と考えるわけです。
この図と地の転換をすることで、「症状が出るからなんとかしたい、鬱陶しい時期」が「普段の体調」っていうことになりますから、常々がやっぱり無理しているんだよねえ…って理解にたどり着いていただける…と良いな、って思っています。
こうした「図と地の転換」をすることで、見え方をかえていただくことができると、症状が出たときにも、そんなに慌てなくてもよくなる、という利点があったりします。
診療において、身体に触れてみると、そのような話ができることはけっこうあります。
そして、普段を頑張っておられる方は、やはり何かの時に、不調がでてきやすかったりするので、普段の頑張りをほどほどにしていただくような、そういう提案もさせていただけるかなあ、なんて思っています。