塞翁が馬

「人生に、良いことは2つ無い」と、昔、東山紘久先生は、講義でおっしゃっていました。

少なく学べば偏見になる。多く学べば智慧になる。

先日、わたしの母の考えと、わたし自身の考えが違うのだ、ということに気づいた時の話をちょっと書きました。 無謬だったころの母は、それでもわたしにとって、かなりきつ…

東山紘久先生の思い出は以前も何度か書きました。

たとえば、才色兼備、みたいな表現はありますが、それが「良いこと」だとするならば、そこに加えて良いこと…というよりは、それであまりに人気になりすぎて…みたいな「悪いこと」が出てくるのだ、というような話であったかと思います。

そして「悪いことも2つ無い」ともおっしゃっていました。

病気をする、ということだって「悪いこと」かもしれませんが、そこで「しっかり休むことができた」とか「自分自身を見直すよいきっかけになった」などの「良いこと」をもたらしてくれることだってあり得ます。

そんな話が昔、あったのでした。

「人間万事塞翁が馬」これは『淮南子』人間訓(えなんじ・じんかんくん)の言葉です。

国境の塞に住んでいた老人の馬が胡の国へ逃げてしまった。老人は「これは幸いの基になるであろう。」と言う。

数ヵ月後、その馬は胡の国の駿馬を連れて戻ってきた。すると老人は「これは不幸の基になるはずだ。」と言う。

老人の子供は落馬して足を折ってしまった。

人々が見舞いを言うと老人は「これは幸いの基になるであろう。」と言う。

一年後、胡の国の軍隊が攻めてきた。

多くの若者が戦死したが、その子は足が不自由であったため戦わずにすみ、親子とも無事であった、という、人生において禍福が定まりがたいことのたとえです。

https://www.myoshinji.or.jp/houwa/archive/youth/075

塞翁が馬、という話は、まさにそのような「良いことは2つ無い」「悪いことも2つ無い」という逸話になっているのだと感じます。

まあ、あまり極端に大きな不幸があるのは勘弁願いたいところですが、良いことと悪いこと、という二項対立じたいが、ひょっとすると、何か間違っている、という話なのかもしれません。