失楽園
先日、こどもがもらって来たクロスワードパズルの中に「アダムとイブを唆した爬虫類」という問題がありました。
「そそのかし」が読めない、とか、「はちゅうるい」が微妙だったとか、そういう漢字の問題もあったのですが、加えて、「アダムとイブをそそのかした」という物語のことを、知らない、と言われたのでした。
おおお。そうか。たしかに、あまりキリスト教関連の物語は、並べてなかったかもしれません。
「智慧の木の実」の物語なんですけれどねえ。世間では「リンゴ」とも「イチジク」とも言われているらしいですが。
聖書の中では、わりと大きなモチーフになっているはずなんですが…よくよく考えると、わたし自身は、幼稚園を転々としたのですが、そのうち二カ所がキリスト教関連でした。なるほど。こういう地道なところで、モチーフを覚えていたのでしょうかしら。
一時期、わたしは、いろいろな聖典と呼ばれるものを蒐集していたことがありました。新約聖書なんかはタダで貰ったりする機会もあったのですが、旧約聖書は入手できていませんでした(書店で購入すれば、あったはずなのですが、そこまで頑張って入手する気もなかったのでしょう)。
旧約聖書の中でも、わりと有名なモチーフとしては、
- 「創世記」…「天地創造」から、アダムとイブがエデンの園を追い出される「失楽園」などが含まれます。そういえば「ノアの方舟」というのも、この創世記の中の物語でした。
- 「出エジプト記」…いわゆるモーゼの活躍を描いた部分ですね。海が割れるとか、十戒の石版を賜るとか。古い映画ですが『十戒』という形のものが残っています。
- 「ヨブ記」…ちらっとここのブログでも触れたことがあります。「まったくただしい」ヨブが、悪魔のささやきと神の気まぐれで、難しい病に苦しむ、という物語です。
ほかにも、鯨…のような大きな魚に飲み込まれる「ヨナ」の物語なども有名で、その後、様々なモチーフになっています。ピノキオも鯨に飲み込まれる描写がありました。
キリスト教圏では、聖書の物語をモチーフにした作品がかなり多い、と言われています。映画にもなった『ナルニア国物語』も、その全編が新約聖書のテーマをモチーフとして描き直した作品なのだ、という指摘もありました。
そのように、繰り返し用いられるモチーフを「カノン」と呼ぶのだ、と大学の時に、宗教心理学を担当しておられた先生が教えてくれた…ような気がします。
そして、その(米国出身の)先生曰く、現代の日本には「カノン」が無い、とのことでした。
「お天道様が見ているよ」というような共通する「物語」が、希薄になっている、というのは、間違いないことでしょう。まあ、日本の場合は、太平洋戦争後の米国による統治の際に、そのような、日本の精神性を支える物語を全て禁じられた、という話があります。とはいえ、現代では、ヨーロッパでも、教会のミサに参加する人たちの数は減っているようです。米国は少し特殊な事情があるようで、かなり例外的に、教会が、ひとが集まる場所になっているのだ、という話を聞いたこともあります。
カトリックの教会は、わたしも観光などで入ったことがありますが、ステンドグラスや、レリーフの形でいろいろな物語が描かれています。そのほとんどは、聖書の中の一場面です。

「天地創造」の絵の中でもミケランジェロの「アダムの創造」の場面は有名です。これもシスティナ礼拝堂の天井画として描かれたものです。
映画『E.T.』の中で、主人公とE.T.が指を近づける、というシーンも、この絵をモチーフにしたものだったのでしょう。

ところで。日本語で「失楽園」と入力して検索をかけると、渡辺淳一の同名小説とその映画ばかりが候補に上がってきます。こちらは、聖書のモチーフとは関係ない話になっていますのでご注意ください。
冒頭のクロスワードパズルの答えは「へび」でした。
物語としては、へびの形をとった悪魔が、イブを誘惑して、智慧の木の実を食べるように仕向け、その後、イブがアダムを誘った、ということになっています。この木の実を食べて智慧がついた二人は、裸体でいることを恥じるようになり、イチジクの葉っぱで局部を隠すようになり、また、神との約束を破ったということで、楽園を追い出されることになった…というのが「失楽園」の筋書きになっています。
楽園を失う、から「失楽園」なんですよねえ。このあたり、心理学的な形でもう少し考えることがありますので、明日、続きを書いてみようと思います。






