妊娠中の身体と現代社会
当院では、分娩の取り扱いはしておりませんが、それでもいろいろな事情で、妊婦さんのお話を伺うことが、時々、あります。
先日、ご縁があって、何人かの妊婦さんとお話をする機会がありました。
妊娠から出産・育児へとつながっていく、ひとの営みの中を、できることなら、お母さんの「本能」を優先にして過ごして欲しい、と、常々わたしは願っています。
「本能」が優先というのが当たり前になるからこそ「案ずるより産むが易し」という言葉の通りに、お産ができるわけですし、本能がうまく働くからこそ、親子関係を上手に作っていくことができるようになるのだと思います。
頭で理屈を一生懸命考えたり、細かいことをきっちりした形にしてゆこう、とすると、頭も身体も緊張します。身体が緊張すると、産道も開きにくくなりますし、痛みに敏感にもなりますから、なかなかお産が進みづらくなったりすることだって、起こります。
お産の時には、理性や理屈をいったん、放り出して、身体をお産の流れに委ねる、ということが、とても大事なことなのですが、昨今の日本では、妊娠中にもお仕事をされている方が多くいらっしゃいます。こうした仕事を続けておられる妊婦さんの多くが、やはり細かい作業や集中を必要とする仕事に関わるわけですから、本能を優先した「お産に向けての体勢・体制」に向かっていくことができにくくなっています。
一般的に、妊娠中は細かい作業や注意力を維持しつづけることが難しくなります。それが身体としてはごくごく普通の反応なのですが、社会人として仕事をしている時には、妊娠していても、妊娠する前と同じような細かさや注意力を維持することが要請されていたりするわけです。
これは妊娠中の身体にとっては、かなりつらい状況です。
本来なら、もっと頭を空っぽにして、ボーッとしておいていただきたいわけです。
とは言え、「仕事をしないと、生活が苦しい」という事情もあることでしょうから、どこかで両立をしなければならない、ってことになるのかもしれませんが、両立、っていうのが、そもそもとっても難しいわけです。
出産後の育児について考えてみても、お母さんが一人で赤ちゃんのお世話をする、というのは、実際、とても大変なことです。こういうことを見て、考えていると、そもそも現代社会という世の中が、妊娠出産・育児に適合していない、ということじゃないか、と思えてくるわけです。
そういえば、あちこちで「子どもの声がうるさい」という苦情があるのだ、という報道を見聞きします。
もちろん、夜勤を終えて、お休みなさるタイミングの方もいらっしゃるでしょうから、いちがいに、その苦情が理不尽、というわけでもないのかもしれませんが、妊娠出産・育児をすることが「大変なこと」になってしまっている世の中、というのは、あまり健全とは言えないように思います。
なぜなら、妊娠出産・育児が無かったら、今の社会を維持するメンバーがいなくなるわけです。
社会からヒトがいなくなれば、その社会は滅ぶしかありません。
なので、妊娠出産をなさっているお母さんたちは、人類社会の明日を担う、重要な人物を育成されているわけですから、本当に頭が下がります。
むしろ、妊娠中の忘れ物が増えるとか、ちょっとしたミスなんていうのは、それに比べれば些細なこと、と吹っ飛ばしてしまいたいくらいです。
(仕事の内容によっては、なかなか些細なこと扱いもできないのが、本当に現代社会の大変なところだと思います)。
どうにか、この過酷な現代社会の中でも、上手に妊娠出産・育児をできるように、うまい工夫をしてゆかねばならないとは思うのですが、なかなかそこまで手が届かないのがもどかしいところです。
妊婦のみなさまにおかれましては、くれぐれも心穏やかに、ご無理なさらずお過ごしいただきますよう、お祈りもうしあげます。