実証と虚証

漢方薬の説明を読むと、しばしば「体力がある」あるいは「体力のない」なんていう書き方をしている文章を見かけます。
最近の添付文書からはだいぶ減ってきたようですが、一昔前は「桂枝茯苓丸」の処方紹介に用いられたイメージ画像が、きわめてがっしりした体格の女性の絵だったりしていました。
「先生!わたしのこと、こんなに太っていると思っていたんですか!」なんて言われたことがある…と漢方の講演会で、講師の先生がぼやいておられましたっけ。
漢方では、いろいろな判断軸を持っています。
1つは「陰陽」。これはけっこう面倒くさいのでそのうちどこかで説明できたら…くらいに思っています。
1つは「虚実」。ここが「体力のある、ない」問題に関わるような話になります。
他にも「寒熱」とか「表裏」というような分類があり、これらを組み合わせて判定することで、今の体調を仮に想定し、どちらに動かしたら「ニュートラル」な状態に戻っていくか、という治療方針を考える、ということになっています。
つまり、お腹が冷えて下痢、という方にはお腹を温める処方が有効で、お腹に熱があって下痢、という方には、お腹を冷やす処方が必要、ということを考えるわけです。
その判定に四診を用いるわけですが、あくまでも「仮説」です。
四診をあわせて判定した「仮の病症」にあうだろう、と考える方剤を内服してもらうことで、じゃあ、どうだった?というあたりを確認し、軌道修正が必要なら修正する、ということを繰り返すのが臨床の作業になります。
冷えている人は温めましょう、熱がこもっているなら冷やしましょう、という方針はわかりやすいので、割合と単純な判断と処方で良いのですが、手足は冷えるのに、頭はのぼせて熱い、というような病態になると、単純に温める、でも、冷やす、でもない対処を考えねばなりません。
そんな話を考える上で、体力があるひと、ないひと、みたいな議論が出てきます。
これはざっとした話でいうなら「実証」とか「虚証」と呼ぶ病態分類とその把握、ということになります。
漢方薬は、その昔、「吐かせる」あるいは「下す(便にして出す)」という方法が頻繁に用いられてきました。体力がなくなっている患者さんに、そこからさらに吐いたり、あるいは下痢したり、ということが続くと、それだけで消耗します。
なので、こうした消耗を許容できるような治療を、ということで「補剤」と呼ばれる、補う処方が増えて来たのだ…と説明を聞いたことがあります。
体力があるひとには「瀉剤」…つまり、その余っている体力を減らすような作用のある薬…を、という形で説明がされるわけです。
体力がないひとには「補剤」を、というわけです。
厳密に言うなら、単純に体力が余っているかどうか、という部分ではなくて、「瀉剤」を使わねばならない病態があるひとに、という事ですが。
なにが違うか、というと、「本人の全体的な体力」という話ではなくて、「病邪」というものが「実」を抱えている…「邪実」がある場合にはそれを動かして消し去るために瀉剤が必要になる、ということです。
そして、病気が、「正気」の消耗が中心の場合であったり、あるいは、「邪実」を攻めるのに、本人の体力が消耗した場合などの時に、その体調を整えるために用いるのが「補剤」ということになります。
このあたり、邪実ってなに?って話をしはじめるととっても面倒くさい。
気の実在とその実態を追いかける、というような話に近いのかもしれませんが…なんとなく、そういうものだ、くらいで考えて頂く方が良いのかもしれません。
四診の中でいうなら、邪実として挙げられるものとしては「物理的に存在するようになった硬結」みたいなものがわかりやすいでしょうか。
肩こりが強くなって、筋肉の緊張が強い…というのも、これも一種の邪実と呼べるかもしれません。
こういうものを解きほぐしつつ、緊張が集まってこないようにする、というような形で瀉剤を使う、ということがあります。
体力的には「疲れやすいんです」という方の中にも、一部、こうした邪実による疲労倦怠感をおっしゃる方があります。こうした方に補剤を処方しても、あまり効果がえられない場合があって、そういうときには改めて診察をして、「邪実」をなんとかする、という考え方で処方を決め直す、ということもあったりします。













