役に立つ人間、という思想の害

—山は存在するのに理由を必要としていません。—

月経前症候群(PMS)の診療に携わるようになって、ずいぶんと経ちます。いろいろな方にお目にかかりましたし、最近はクリニックでも「PMS専門外来」を立ち上げました。

PMS専門外来

月経前になるとむくみやすくなる、感情が不安定になる、あるいは過食ぎみになる、眠たくなる…もしくは眠れなくなる、などの変調を経験された方は少なくないと思います。以…

以前から、月経前症候群(PMS)の方は「頑張りすぎ」であるにも関わらず、本人にそれを伝えると「いや、わたしの頑張りなんて、大したことない」というお返事を頂くことが多かったのですが、ここしばらく診療を続けていて、ふと、気づいたことがあります。

彼女たちの価値観として「役に立たなければならない」という意識がとても根深いのです。

有能であること、役に立つことが、自分が受容されるためには必要だったのかもしれませんし、その意識があるからこそ、頑張っておられて、その頑張りの結果として、評価もされているのだろうと思いますが、彼女たちの頑張りは、どこか、底が抜けているような印象があります。どこまで頑張っても、なんだか、足りないし、満足して頑張ることをやめた途端に、見放されるのではないか、というような恐怖感すら感じることがあります。

子どもが、家庭の中で育っていく時に、たしかに役に立ってくれたら、それはそれで嬉しい。あるいは「ひとさまの役に立つ人間になりなさい」と教え諭すことはあるかもしれない。でも、それよりも何よりも、ただ、あなたが居るだけで、どれだけ嬉しいか、っていうことを、本当は、しっかり伝えて欲しかった。

あなたは、居るだけで良いんだ、と。その上で、贅沢なことを望むなら、役に立つ人間であってくれたら、どんなにか良いだろうか…。

と、せめて、そのくらいの親の希望の中で、育ってくれたなら、もっと健全でいられたかも知れないのに…と思うことがあります。

以前に、重度心身障害者の介護施設で、複数の入所者を殺害する、という殺人事件がありました。犯人は「役に立たない人を…」というような表現をしていた報道を見かけた記憶があります。

この「役に立たない人を…」という発想は、たやすく、優生思想につながります。優生思想というのは、優れた者を選別して残していく、という表現ですが、つまり、優れていない…役に立たないような人を排除していく、という思想と実践になります。

役に立たない人を排除していくと、だんだん、排除の対象は広がっていきます。なぜなら、役に立つ、ということの基準がどんどん高くなっていくからです。あの人は役に立たないから、居なくなってもらおう…なんていう発想を続けていると、そのうち、排除の対象者に自分が含まれることになりかねません。

ひとが存在するのに理由は必要無い、ということを、もう一度あらためて、強調せねばならないのだと思います。その前提が実現された、その次に、ひとが参加する、ひとの共同体を維持するために、「わたしにできることは何か?」を考え、実践していく、と、そういう順番がとても大事なのだと思います。