心理学と精神医学の師匠のこと
私には何人かの師匠がいる、と書いてきたのですけれど、最初の漢方の師匠も「心のあり方」のことは多少なり、おっしゃっていましたし、ボディートークの師匠のところでは「こころとからだ」のことをずーっと考えているようなことになりました。
大学生になった場所がちょうど河合隼雄氏が臨床心理学という学問をはじめた、京都大学だったので、これ幸いとばかりに臨床心理学の講義にもぐり込んだりしていたわけです。
いろいろなご縁を頂いて、河合隼雄先生のお弟子さん、という方の薫陶を頂くことができました。当時は隼雄先生のご子息でいらっしゃる、河合俊雄先生が助教授でおられたのだったような記憶があります。
医学部の学生です、って話をして、ありがたいことに守秘義務が発生するような専門の講義にも参加する許可を頂戴しました。
当時は河合隼雄先生は退官されて、国際日本文化研究センターの所長をされていたのだったか、隼雄先生の一般向けの講演会にも足を運んだ記憶があります。
そんな風に、ユング派(山中康裕先生)やロジャーズ派(東山紘久先生)の心理学を勉強していた矢先に、ぜんぜん別のところで、アドラー派の心理学の講義を受ける機会がありました。
アドラー派の心理学を日本に紹介した、野田俊作先生という方のお弟子さん、だった方が、連続講座をする、ということで、一も二もなく参加をさせて頂いたのが、ご縁の始まりでした。
3ヶ月くらい、毎週のように、大阪まで通っていた記憶があります。
そして、ありがたいことにその後もご縁をつないでいただきまして、講座がおわってからも、続けて、小さな勉強会を設けて頂いたのでした。
勉強会の中では、たいへん厳しくお叱りを受けたこともありました。声はとっても穏やかなのに、身が縮み上がる思いをしたことを、今でも覚えていますし、その時に教えて頂いた、心に関わる専門科としての姿勢は、本当に私の根っこにしっかりと染み込みました。
それだけ勉強をしておきながら、自分自身の「過労うつ」に気づくのがこんなに遅れるなんて!っていうことを考えると、恥ずかしい思いをしたわけですけれど、でも逆に、この経験から、自分自身のことはやっぱり見えづらいんだなあ、ということがわかりました。
自分のことは自分が一番わかっている、と言いたいこともありますが、自分自身の「今の状況」っていう、基準点が、毎日ぶれているなかで、徐々に落ち込んでいったとしても、やっぱりよほどの状況にならないと、気づきにくいのだ、というのは、大きな発見でした。
師匠は「だから、(変わらない)師匠に毎月会いに行きなさい」っておっしゃってましたけれど。
山中先生も、アドラー派の心理学を教えてくださった師も、医師の免許もお持ちでしたから、私も先生方のように精神科領域に進む、という方向もあったのかも知れません。が、やはり最初の師匠の影響が大きかったのだろうと思います。心理そのものを心理から、ではなくて、身体を通してこころに関わっていくことが、私の人生の進む場所だったのかもしれない、と今でも思います。