日本語の文法って難しい
(どこそこ様より)うかがっておりますので、けっこうです。
「京大生!これを英語に翻訳してくれ!」…と、ずいぶん昔の話ですが、学生時代のアルバイト先で言われたのでした。
えええええ?うかがっております…?つまり「わたしはその話を聞いていた」ってこと?
いやちょっと待てよ。これどういう状況で使う表現…?
社会人経験も何もない、大学生時代のはじめてのアルバイトでした。
今みたいに、スマホがあるわけでもなく、アルバイト先に和英辞書があるわけでもなく…。
で、つまりどういうこと?ってあらためて尋ねたら、「会計のところで、支払い不要、という意味を伝える、って話」だということがわかりました。
なるほど。たしかに、そういう言い方する。うん。
で、こういうときの「支払い」は、ビルだったか、ペイメントだったか…?どっちでしたっけ?って尋ねても答えてくださるような方はなく。
かなり不格好な意味だけ、ぶつ切りでお伝えするメモに、ギリギリ意味が通じるだけの英訳(お支払いは済んでます的な意味)を書いた記憶があります。
ぜんぜん「うかがっております」とかそんな雰囲気のハイソな文章じゃなかった。残念。もうちょっと格好良い文章にしておけたら、胸を張って思い出にできたのかもしれませんが、まあ、現実はそんなに立派ではありませんでした。
さて。
日本語の運用という話題にもどります。
日本語で、ふだんから用いられているような文章では、あちこちで省略されている言葉がありますが、その省略の割合が、英語などに比べて、ずいぶんと多いように思います。(ちょっと丁寧に、省略を減らして書いてみた!)
文脈や背景の部分に依存する情報が多くて、用いられる言語として省略されているものが多い言語を「ハイコンテクスト」な言語、って言うんですって。
なるほど。
日本語の「文法」って、いったん、英語の文法を勉強してからはじまった、ような気がします。そりゃ、主語の省略も多いし、はじめに文法ありき、じゃないですもんねえ。
うかがっておりますので、けっこうです。
って、主語いったい何だよ?って思いません?
敬語表現になるほどに、主語を直に指し示さない方針が強くなる、らしいですけれど。
殿下とかっていうでしょ。あれ、「殿の下」ってことで、お殿様(というのもお館様っていうのも、住んでいる建物を指す形で、その主のことを直接名指ししない)のお住まいである、「との」のさらに「下側」っていう部分を指さす言葉になっている、わけです。
陛下、ってのの「陛」ってのは、段のない、階段みたいなもの、らしいですぜ。へええ。

https://nlab.itmedia.co.jp/cont/articles/3316071/9 よりお借りしました。まあ、「階」って書いても「きざはし」なんですけれど。
陛、だと「段」がない形になっている…とかって別のところで読みました。
きざはし?って調べていたら、能舞台がでてきたのでご参考までに。


https://noh-kyogen.com/global/ja/noh_stage/index.html#no06 からお借りしました。
手紙なんかの宛先の所に「机下」ってかくのは、机の下にそっと差し出す、ということのようですが。
そんな日本語の文法を、子どもが勉強していました。
「うたを歌うのは、楽しいです」
この文章の主語は何でしょうか?
述語は、きっと、「楽しいです」なんでしょうねえ…。ってことは、楽しい、を述語にとる主語。
「わたしは」とかそういう主語が省略されているのでしょうかねえ?
それとも「うたを歌う」こと、くらいで、これが体言になって主語なんでしょうか。
どちらもありそうな気がします。
英語なら
「わたしは、うたを歌うことが、楽しいです」
「うたを歌うことは、楽しいことです」
そういう文章になりそうです。(書いてある文章は英語ではありませんが…)後者は非人称代名詞のItを使う、とかでしょうかしら。
この「主語」が省略されている、っていうことと、日本人の「境界線」の問題とが関連しているような気がします。
「宿題が提出されていないのですが」
「忘れ物が多いのですが」
主語は、だいたい、「子ども」のことですから、該当する「子ども」は、って、ことになりますが、微妙に、この時の主語が大きくなってしまう…のかもしれません。
親が代わりに気を配るのをどこまでやっていくか、という話にもなりますけれど。
こういう所で、主語をハッキリさせることをすると、意外とトラブルが減る、のかもしれません。
以前ブログでもご紹介しましたが「アイ・メッセージ」という表現方法があります。
相手の行動に対して、批判をするとか、相手の行動を変えるような指示を出すのではなくて、「わたしは、こう感じた」「わたしは、こうしてもらいたかった」という、「わたし」主語のメッセージにすることで、聞き手自身に変化を強いるのではない方法になります。
かえってこの方が、メッセージとしては伝わりやすいとか、その後の改善につながる、というようなこともありそうです。
診療していると、家族のことに気を遣い、くたびれてしまって、自分自身の希望とか意志みたいなものを尊重できておられない方もいらっしゃいます。
なかなか大変な生活を続けておられるのですが、どうかくれぐれも、ご自身を主語にした、そんな生活を取り戻していただきたいものだ、と思います。


