明日のことは

あすのことは思いわずらうな。

…というのは、実は聖書の一節なのだそうです。

へええ。と思って調べてみたら「マタイによる福音書6章」34節が、まさにその言葉でした。

「だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」

https://www.bible.com/ja/bible/81/MAT.6.JA1955

冒頭の「だから…」って、いったい何について語っているのかしら?と思ってその前を読んでみました。

「あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられるであろう。…」

https://www.bible.com/ja/bible/81/MAT.6.JA1955

「これらのもの」ってのも、さらにその前にいろいろと書いてありました。まあ、生活のことを細々と心配しなくても良い。それよりも信仰を…って話になっているようです。

ちなみに、この「マタイによる福音書6章」の冒頭には、以前ご紹介した「主の祈り」が出てきていました。
こんなところでつながるとは。

われらをこころみにひきたまわざれ

今日はちょっと、宗教くさい話をいたします。 キリスト教のお祈りの中に、主の祈り、と呼ばれる祈祷文があります。 天にましますわれらの父よ 願わくは御名の尊まれんこと…

わたしは幼少期、カトリックの幼稚園に通っていた時代があります。
その頃に、なにかのイベントで貰った…のだろうと思いますが、陶器の小さな鈴がありました。
「ののはな、そらのとりをみなさい」と書いてあったように記憶しています。この文章も、どうやら、同じく「マタイによる福音書6章」からの言葉であるようです。

こんなところにも!と、今さらにその言葉の意味を知ったところでした。

こんな短い文章でしたが、なにかの拍子に眺めるところに、文字が書いてあると、ついつい、読んでしまうクセがありました。
幼心にも突き刺さっていたのでしょう。
一見、その言葉だけでは意味が取りづらい…けれども、前後の文脈を見て、その内容を知ると深い意味につながるような言葉でした。
これこそが、まさに「文化」だなあ、と思います。

さて。
明日のことは思いわずらうな、という言葉をわたしが覚えたのは、誰かのエッセイだったように記憶しています。
明日のことは思い煩うな。明日は明日の風がふく…という話と同時に、「明日できることは今日するな」という格言が紹介されていたのでした。

この「明日できることは…」というのは、アラブだかの格言だ、という話だったと記憶しているのですが、グーグル先生に聞いても、ハッキリとした由来がわかりません。一部では「トルコのことわざ」とか、スペイン語では…とかって出てきます。
グーグル先生のご紹介で見つけた、別のエッセイ記事では、わりとしっかりその辺の言葉を遡って整理された文章を載せておられる方がありました。

こちらの方の主張によると、もともと「良いことは急いでやってしまいなさい」的な、ちゃんと早めに仕事をするべきである、という格言があって、その反動で出てきたのではないか、という事が書かれています。

しかしまた「明日できることは今日するな」という言葉は、大事なことをぐずぐず引き延ばす政治家の信条というだけでなく、いかにも説教臭い「今日できることは明日まで延ばすな」という格言への反動でもある。松井利夫さんの友人だけでなく、村上龍の本のタイトルでもあるし、遠藤周作(というより彼が引くトルコの格言)やサッカレーも同じような言葉を残したらしい。あえて教訓をひっくり返すと、いかにも深遠な気がしてくる。

わたしが読んだエッセイは、ひょっとするとここに紹介されている、遠藤周作の手によるものだったかもしれません。だんだんそんな気がしてきました。
当時『狐狸庵閑話』という、遠藤周作氏のエッセイ集を読んでいたような記憶があります。「こりゃあかんわ」のもじりだ、とか書いてあったような。
アラブ…と勘違いしていましたが、トルコの格言、とここには書いてありますねえ…。
なんとなく、砂漠の民、というイメージが先行していましたが、トルコ…トルコでは砂漠とはちょっと違うような気がします。
わたしの勝手なイメージが後付けされてしまっていたのでしょう。

遠藤周作氏は、たくさんのキリスト教に関連する小説をお書きになっておられました。
ご本人もキリスト教の信仰を持っておられたと書いてあったように記憶しています。

きっと、マタイによる福音書のことも、すごくご存知だったのでしょうが、聖書の一節を高らかに述べ伝える、という方ではなかったのだろうと思います。

とはいえ、遠藤周作氏も、この言葉を盾にして、すごくズボラをきかせていた、というわけではなさそうです。
明日できることは今日するな、という言葉には「明日になったら出来なくなることがけっこうあるぞ」というメッセージが含まれるようにも感じられます。
どちらに重きを置くかは、その時しだいでしょうが、時宜を逃さないように、という言葉なのかもしれません。

この時宜を逃さない、っていうのが、また難しい話ではあるのですけれど。