時代がひとまわりした

歴史は振り子のように、なんていう表現をされる方もあります。
揺り戻しという表現もありますが。
先日、父が「時代遅れだと思っていたが、とうとう一周まわって最先端だった」という話をしていました。
そういうこともあるものなのだなあ…と感慨深い思いで聞きました。
話はわりとシンプルなことです。
昔から我が家には自家用車がありませんでした。
いろいろと不便はあったのですが、それは、自家用車が無いことを前提とした生活をすることでなんとか、かんとか。
やっぱりあちこちに出かけるには不便でしたので、お友達の車を出して頂いたりしたことも本当にしばしばだったようです。
スポーツ少年団での、子供たちの送迎ができない、ということで、こちらは、自動車を出さなくて良いところには、ずいぶんと頑張って出てきていたのだ、という話も、ずいぶんと経ってから聞いたのを思い出しました。
両親ともに運転免許を取得していませんでしたので、まあ、自家用車が置いてあっても、誰も使えない話にもなります。幸いに駅から徒歩5分くらいのところに家を構えることができましたので、電車での通勤、通学という生活をしていました。
両親もずいぶんと年を取り、後期高齢者の仲間入りをしましたが、そうすると、最近は「免許の返納」というのがあるのだそうです。
そして、知り合いが返納されたりしているのだとか。
免許を返納すると、自家用車の運転はできなくなります。家族に運転して貰うことができれば、それほど生活が変わらないのかもしれませんが、まあ、そういうことにいつもいつも、付き合わせるわけにもいかないのでしょう。
ひっきょう、自家用車「なし」の生活がはじまるのだそうです。後期高齢者で、運転がおぼつかない、という年齢になってから。
同じような後期高齢者ですが、運転をしてこなかった父は、けっこうな距離をてくてくと歩きます。まあ、だんだん足腰も弱ってきていますから、いつまで続けられるか、子供としては、少し心配もあるのですが。
そんなこんなで、父の自慢は、「長年、自家用車を所持せずに、てくてくと歩いてきたが、最近では、それが最先端の流行になっていた」ということだったようです。
そういうの、「周回遅れのトップ」ってことで良いんでしょうかしらねえ?