村上光照老師の思い出
私が幼いころから、時折、なにかの折りに我が家にいらっしゃって、お泊まりになるお坊さまがありました。
村上さん、とお呼びしていたその方は、村上光照、とおっしゃる曹洞宗のお坊さまだったそうです。お寺をお持ちにならず、終生を雲水として過ごされたのだ、と、ウィキペディアには書いてありました。
「物理を学ぶのではなくて、わたしは仏理…ほとけのことわり…を学ぶ道を選んだ」と、理学部で物理学を専攻されていたところから、禅の道に進まれたのを、そのようにおっしゃっていたと聞きました。
ご縁をいただいたのは、おそらく、澤木興道老師のところで、父が参禅していたから、なんだろうと思いますので、父の独身時代からの大先輩でいらっしゃったのだと思います。本当に小さいころから見ていただいていたのですが、いろいろな事をおしえていただきました。
ずいぶんと経ってから、母が「夫婦仲が悪かった時は毎年のようにいらして下さっていたのよ」と、たぶん、我が家の両親の様子を見にいらしては、なにか、ポツポツとお話をされて、そのおかげで両親の仲がなんとか保っていたようです。
「長所は遠くにある方がよく見える」「短所は近くにいる方がよく見える」あるいは「高い山は遠くからの方がその高さがわかる」なんていうのも、村上さんがおっしゃっていたのだと思います。
私が医学部に進学してからは、「昏睡状態の患者さんの前で、(なにかの仏を念じつつ…ここ失念してしまいました)三昧に入ったら、その患者さんがびっくりして、合掌をされていた」とか、「伊豆の地震をおさえるひとが居なくなって、なあ」とか、そういう不思議なこともお話くださったように記憶しています。神社にお参りをして、そのお作法をあらためて教えていただいたものでした。お坊さまが神社でお参り…?とも思いましたが、その姿勢にも学ばせていただいたと思っています。
実は、最初の師匠をご紹介くださったのも、村上さん、でした。
「こういう方があるから、行ってみると良い」くらいの話だったと思うのですが、その後も折に触れていろいろな文章の切り抜きをお送りくださったり、年賀状をくださったりしていたものでした。
(ちなみに師匠の本の中にも一行、「眠っているときにも笑顔でいらっしゃる」という形でお名前が出ていたのを見て、「わー!」とはしゃいだのを覚えています)
最晩年、たよりにしておられたというお兄様が逝去された後、ずいぶんと気落ちされたそうで、その前後に認知症を発症されたと伺いましたが、そのころの写真を拝見すると、本当に柔和な笑顔をされていらっしゃいました。座禅会の時の厳しいお顔とはずいぶんとまた不二気が違うね、と話をしていたものでしたが、その後のご様子をお伺いするころには遷化されていたのだと聞きました。
村上さんから頂戴したご縁は、他にもたくさんあります。
こうしたご縁に導かれているのだなあ、と、本当にありがたく思います。