治療の方針

先日、病気の原因と「モデル」という話を書きました。

病気の原因と「モデル」

病気の原因は何なのか…?という話は、病理学という学問の中で一生懸命議論が積み重ねられてきました。 病理学の歴史の中で有名な先生としては「ウィルヒョウ」氏が挙げら…

病因論とか病理学モデル、というものが、なんのために用いられるか、を考えると、その根っこには「その病因を取り除くことが出来れば、予防や治療になる」という発想があるように感じられます。

感染症については、だいぶわかりやすいかもしれません。
感染を引き起こす病原微生物を排除できれば、感染症の治療ができる、という話になります。
なんなら、病原微生物を絶滅させれば、その感染症の駆除ができる、かもしれません。
病原微生物との関係を変えるような薬があれば、症状が軽減できる、ということだってあるでしょう。
たとえば、ワクチンはそのような意図で開発されているようにも思われます。

腫瘍については、ちょっと難しいかもしれません。
腫瘍を引き起こす病原微生物、という考え方も出てきました。HPVや肝炎ウイルスがそれに該当します。ピロリ菌もでしょうか。
腫瘍を引き起こす遺伝子変異を事前に予防できるなら、発症を減らすことができるかもしれません。
腫瘍を発症してしまった場合に、どう治療してゆくか…?という時には、必ずしも「原因を除去する」という話だけにはなりづらいところもありそうですが、たとえば、悪化を防ぐとか、再発を予防する、なんていうところには効果があるのかもしれません。

花粉症や、あるいは蕁麻疹、というものの場合、西洋医学的なモデルだと、「異物である花粉や、その他の物質が接触することで、アレルギーの反応が引き起こされる」と考えることが多いように思います。
原因の除去ができれば、症状は出なくなりそうです。花粉を避けるために、マスクやメガネも有効かもしれません。
とはいえ、全ての原因物質を、その方の人生からまるごと除去する、というのは、けっこう難しいわけで、花粉にしても、ハウスダストにしても、やはり、どれだけ防ごうとしても、どこかから多少は入ってくる…というのが実状です。

「原因」と呼べば、それが1つだけ、のような気もしますが、外因性の病因に対して、反応する主体…つまりわたしたちの身体に目を向けると、こちらはこちらで、多少なり、発症しやすくなる状態、というのがあったりします。
たとえば、寝不足の状態。あるいは、ストレスとか過労とかが重なっているとき、でしょうか。
そういう身体的な負荷がかかっているところに、引き金となる「原因物質」が重なることで症状が出てくる、という考え方ができます。

西洋医学は「外側」にあるものを「原因」と呼びましたが、漢方では、身体の反応とか、もともとの体調とかを大事にすることが多いように思われます。
もちろん「外側」からやってくる「邪」を「外邪」と呼び、それらに対してどうするか…みたいな話もあります。ただし、それは医学というよりは「予防」とか「マナー」の領域の話だったのかもしれません。
平安時代には、貴人は御簾の中にいましたし、時折「方違え」などという風習がありました。物忌みの時に音曲を嫌う、というのも、「歌」を避けるというような趣旨だったのかもしれない、と考えることもできそうです。そういえば、フィリピンの先住民であるアエタは、熱が出ると家の中で休む…のではなくて、ひとり、木の枝の上に休む、ということをするのだそうです。しんどい時にどうして?と思っていましたが、感染症の隔離を生活の知恵の中に成立させていたのかもしれない、と思います。これを医学とか予防学と呼ぶか?というと、そういうカテゴリとしては前景には出てこないような気がします。

これは、現代の漢方が、わりあい「補剤」と呼ばれるような処方を大事にしていて、これを中心とした方剤が多く用いられているから、という理由もありそうです。
抗生物質が効く疾患であれば、わざわざ漢方薬だけで診療をすることの積極的な理由はありませんし。

そういう、外的な原因のことはいったんおいておいて…という現代漢方の診療方針は、ずいぶんと便利です。
「(検査では)異常は認められない」などと西洋医学では言われた、なんていう方に対しても、「体調を整える」という方針で治療が進められるというわけですので。

漢方の診療では、「五臓」という考え方や「気血水」という考え方を用いて、ひとの身体の様子を把握します。
一般的に、人の気力体力を作り出してくれるのが、食物を摂取して、消化吸収してゆく、「胃腸」が中心になります。これが五臓で言うところの「脾」です。
(もちろん、空気中の酸素を取り込んで、全身にまわす、という意味で「肺」と「心」が大事であることも言うまでもありませんが…)

小児期というのは、特に、この「脾」が育っていく時期ともされています。
なので、小児の疾患には、「こまったら胃腸の調子を整える」という考え方で診療します。お腹の調子を整える、という意味で「小建中湯(しょうけんちゅうとう)」という処方を用いることがしばしばあります。

病態として、「気」が足りていないということであれば、まずは胃腸を整えて、気の産生が追いつくようにしてゆく、というのが大きな流れの第一歩だと考えています。

また、長期の消耗などがあると、「血」が不足してきます。
これを補うには、すこし時間がかかります。「血」を補う処方を使いたい…という病態の方は、たいていは、胃腸が弱っているために、普通の食事から摂取したものを吸収して、身体にまわすことが出来づらくなっている方が多いからです。
なので、一目散に「血」を補うことをすると、胃腸の症状が出て、処方が飲めなくなる人があります。そういう場合には、まずは「胃腸を整える」ことを優先する、という治療方針をとります。
そうこうしている内に、お腹の調子がよくなってきて、食事も進むようになると、だいぶ改善に近づきますが、多少気長に見てゆく必要があります。

痛みやしびれの病態は、筋肉の緊張がその背景にあることもしばしばです。これらを改善しようとすると、「瘀血」や「水滞」の治療が必要になります。筋肉の緊張は、人によって「短時間に強く収縮した」ものから「長期間かけて、慢性的に収縮が続いた」ものまで、様々で、これらを緩めてゆくには、やはり、収縮して緊張をつくったのと、似たような時間経過を考えていただく必要があったりします。
漢方薬では、血流を改善し、痛みを取る、という処方もありますが、加えてストレッチやマッサージなどが有効だったりします。

それぞれにどのような漢方処方を選ぶのか、とか、その選んだ処方はどのくらいの期間使っていくのか、というのは、個別にある程度の目安があります。
おおよそ、病気ができてきて、煩っている時間、と似たような幅で改善に時間がかかる、と考えていただくのが良いのかもしれません。

胃腸の調子を整えて、体調を底上げしてゆくような処方は、いわば、食事の延長線上にあるようなものもあります。
長期間内服していただいても問題がない、という方剤もありますので、「これを飲んでいると調子が良い」という方については、そのまま継続していただくこともあります。
一方で、症状改善のために用いる処方の中には、わりと強い反応を引き起こす生薬が含まれていることもあり、これらの多くは症状がなくなったら、内服をやめるほうが良い、と考えられます。

とはいえ、漢方薬を使っていると調子は良いが、やめるとちょっと症状が出てくる、という方もあり、そういう方には、どうしても処方を続ける、ということになりがちです。
とはいえ、短期的な症状緩和と、長期的な体調の底上げでは、選ぶ処方が変わってきます。

それぞれの方の症状と、体調、そして治療の目標を勘案しながら、処方を調整しております。