特別なことは続けられない

わたしが大学生の頃の話です。
大学生協が広報誌を作っていました。いろいろとアンケートやクイズがあったりして、抽選で商品券…ではなかったと思いますが、プリペイドカードだったか、図書券だったかが当たったりすることもあって、せっせと投稿していたのでした。

ある時の特集が「環境に良いこと、何か特別にやっていますか?」というものだったように覚えています。次号の特集で記事を組むので、そのアンケートに答えてください、との質問に、ちょっと考えて「何もありません」って返事を出したのでした。

次の、「環境に良いこと特集」を読んだ時にびっくりしたのは、環境に良いこととして、ゴミの分別をしている、とか、乾電池を回収箱に入れているとか、牛乳パックは別で回収しているとか、読んでみたら「これ、どれも私が日常でやっていることばっかり!」だったのです。

今から考えたら、どこも悔しがるような点にはならない話なのですけれど、当時はずいぶんと悔しい思いをした記憶があります。なにが悔しかったのでしょうねえ…自分がやって来ていることを自慢できなかったあたりでしょうかしら。

その後、社会人になってしばらくしてからのこと。職場にすごく色白で肌がきれいな男性がおられました。すこし気安くなった頃に「お肌きれいですけど、なにか特別なこと、なさっているんですか?」ってお訊きしたのを覚えています。その方のお返事も「うーん…なにもしていないけれど」というお返事でした。

そのお返事を聞いて「あの人、特別なこと、なにもしていない、ってよ!」って報告をしていたら「そんなことはない!あの人、建物に入ったら化粧水を顔にスプレーしてた!」って反論する方があって。

で、考えたわけです。

その方は「特別なこと」はしておられないんです。きっと。

毎日、気をつけることを続けているうちに、日常の動作の中に、組み込まれていったのだろうと思います。だから、意識にのぼることも少なくなってくる。

特別なこと、と思ってやっているうちは、続けるのに努力が必要です。

努力だけではわたしたちはやっぱり長いことは続けられません。

だから「特別なこと」を「当たり前のこと」にしてゆくのが、続けるにあたっては大事なポイントになります。

当たり前のことなら続けるのが当たり前になるわけですから。

わたしのやっていた「環境に良いこと」もそれが当たり前になりすぎていたので、「なにかやっていますか?」と聞かれても、わざわざ言葉にできなかったのだと思いますし、当たり前にやっていられるから、無理なく続けられていたのだろう、と思います。

日々、自分の心と身体を大事にする行動も、ぜひ「当たり前のこと」に組み込んでいただきたいなあ、と思うところです。