王さまの耳はロバの耳
時々、そんな話を診療でします。
「王さまの耳は!ロバの!みみ!」と、穴を掘って叫びたくなること、ありますよねえ…。って。
ところで、王さま、どうしてロバの耳だったんでしょうか?ってご存知ですか?
昨今流行りの、ネコミミ、みたいな話ではなかったようです。
ちなみに、このロバの耳を(一時期)持っていた王さまの名前は「ミダス王」。というと、ご存知の方があるかもしれませんが、「触れたら全てのものが黄金になる」という奇特な魔法を授かった、という話があるのですが、その当事者でもいらっしゃいます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9
長母音がはいって「ミダース」っていう発音になるのだそうです。マイダスとかって言ってた気がするのですが、これは読み方が英語読みになったんでしょうね。ニケ神を「ナイキ」と読む、みたいな話ではないかと思います。
触れたものが全て黄金に変換される、という話はそれはそれで、大変な話でした。どうしてこう、この王さまはそそっかしいことをいろいろとやらかして有名になったのか…と考えますけれど、むしろ神との意思疎通をかなり上手にされていた方、と言えるのかも知れません。
神様へのお願い、という話では「みっつの願い」なんていう童話が結構伝わっているようです。
どこかの神様が貧しくも信心深い夫婦に「みっつの願いを叶えてやろう」と、ちょうど晩御飯のタイミングでお告げが下りました。
ついうっかり口に出たのが「このスープの中に、せめてソーセージが入っていたら…」という言葉。「かなえてやろう」と返事があったのかどうか、見るとスープの中に、ソーセージが出現して居るではありませんか!
これに腹を立てたのが連れ合い。貴重なみっつの願いごとの一つを、そんなソーセージで消耗してしまうなんて!と激高したあげく「そんなソーセージ、お前の鼻にくっついたら良いんだ!」と叫びます。
さすが。神様の秘蹟ですから、くっついたソーセージ、どれだけ引っ張ってもはずれません。
結局、みっつめのお願いを「元通りにしてください」ということで、なにもかも元の貧しい家庭に戻ってしまいましたとさ…。
神様に聞き入れてもらう願いごと、というのも難しい話です。
お金が欲しい、という願いごとを実現してもらったら、たしかにお金は得られたけれど、そのお金を使って楽しむ時間が無くなる程に忙しくなったとか、楽しむ体力が無いような身体の壊し方をした、というような話だってありそうです。
『モモ』の中でも、「おしゃべりな若者」であるジローラモ(愛称はジジ)が、語り手としてあまりに有名になった挙げ句、聴衆が次々と物語を要求することに応えているうちに、どんどんとすり切れてしまう、という描写がありました。
神様との対峙でなくたって、ほんとうの望みはどういうものだったのか…?というのはとても難しいのだと思います。
さて。
ミダース王は、パーン神と仲が良かったのだそうです。彼はこのあたり、神様との友人関係を構築し、維持する、という点では類い稀なる才能を発揮していたのでしょう。彼はパーンの演奏する笛が好きでした。
ギリシアの神は本当にとてもたくさん居ます。音楽を司る神…じゃなくて器楽の話だけでも、竪琴はアポロンが得意だったりします。そりゃ断然、アポロンの方が上手な演奏をするわけです。
パーン神が、アポロンに挑んだというのが事情のようですが、そもそもの技量が違っていました。
聴衆が皆「たしかにアポロンの演奏の方が素晴らしい」と頷いているところに、ミダース王だけは「いや、私はそれでもパーン神の演奏が良いと思う」と言いつのったのを見て、アポロンは、「そんなに耳が悪いんだったら、ロバの耳にしてやる」と、ミダース王の耳をロバの耳にしてしまいます。
これが「王さまの耳はロバの耳」の始まりです。
王は、その耳をターバンで隠しますが、散髪の時だけは、どうしてもターバンを外さねばなりません。秘密厳守の契約をしますが、理髪師は、その秘密をだんだん、どこかで喋りたくなり…
草原に穴を掘って、そこにコッソリ「王さまの耳は…」と喋ります。
自分の心にある秘密を、穴を掘って喋るだけで、気が済む、というこの理髪師の自制心もすごいのですが、そこはギリシア神話。この草原に生えた葦が、喋るのだそうです。「王さまの耳は…」。
どうして葦が喋るのかわかりませんが、そういえばパスカルは「人間は考える葦である」って主張していましたっけ。その逆を考えるなら、「葦」は「考えの無い人間」の寓意なのでしょうか?まさかそんな話ではないのだろうと思いますが…。
わたしの勝手な記憶では、理髪師が深い穴を掘って、大きな声で叫んでいたのだと思い込んでいましたが、理髪師、かなり自制心の強いひとでした。
それでも言いたいことを我慢しているのは大変なのでしょう。
兼好法師も「物言わぬは腹ふくるる心地ぞする」と書き残していますから、あまり抱え込まない方が良いのだろうと思います。
最近の草原は、あまり穴を掘るような場所もありませんが、まあ葦がそれほど具体的に喋ることも減ったでしょうから、どこかでこっそり、というのは大事なガス抜きなのかもしれません。