痛みとの付き合い方

「痛みに耐えて、よく頑張った!感動した!」というのは、2001年の大相撲夏場所のこと。
怪我をおして出場し、優勝した貴乃花関に対して、当時の小泉純一郎首相が土俵上でかけた言葉でした。
痛いことって、あまり積極的にやりたいことではありません。
痛みは無いに越したことはないわけです。
それじゃあ、完全に痛みというものがなければ、ひとはずいぶんと幸福に生きられるのか?という話になりますが…
世界には「無痛症」と呼ばれる異常をお持ちの方がいらっしゃいます。原因は先天性のもの、後天性のものと、様々にあるみたいですが、たとえば、先天性無痛症の一部は、難病として取り扱われることになっています。
幼い頃から痛みの自覚がないと、自分自身の身体を大事にする、守る、という動作が発生しなくなるのだそうです。
怪我をしていても、あるいは(通常であれば)痛みを自覚するような身体の不調があっても、それを認識しない、ということから、疾病が重症化する…ということも言われています。
また、無痛症に発汗の異常が伴うタイプの場合、熱中症に似た症状を引き起こすこともしばしばあるようで、短命になりやすいのだとも書いてありました。これは痛みとは直接関係ないことかもしれませんが。
痛み、というのは、避けたくなる、つらい信号ではありますが、痛み自体が、というよりは、痛みを引き起こす事象そのものを避けねばならない、という意味では、いわば、火災報知器と似たような立場にあるのかもしれません。
火災報知器の音を止めたとしても、それでも炎が消えていなければ、そのうち建物が延焼します。場合によっては、火災報知器が鳴っている、というそのことがそもそも誤報であったりすることもありますが…。
「人生山あり谷あり」という言葉もありますが、平坦な道ではないからこそ、味わえる良さ、というのもあるのかもしれません。
それらの喜びが単に「苦しみからの解放」というだけではなく、もっと別の喜びが入っていることを、期待したいものです。
ひとの生活において「痛みや苦しみが発生しない」とされる「コンフォートゾーン」という考え方があります。そして、「ちょっとしんどい、あるいはちょっとつらい」けれど、自分自身を育てることができる、とされる「ストレッチゾーン」という考え方があります。
コンフォートゾーンに留まり続けると、徐々に、自分自身の力は落ちていく…そんな気がします。筋肉も神経も、使わないものは衰えていきますから。
だから、ストレッチゾーンでの挑戦が必要なのでしょう。
もちろん、酷使しすぎて、身も心もボロボロ…というような状態のかたもいらっしゃいます。なので、まずは「コンフォートゾーン」を確保すること、そこに滞在することが大事なことではあります。が、コンフォートゾーンにたどり着いた、と、そこに居ることだけで満足するのではなくて、いずれ、体力を回復してからは「ストレッチゾーン」に足をのばすことがとても大事な事になります。
痛みを、常に避け続けていたら良いのか?というと、そうじゃないこともあるのでしょう。
ある程度、つらいこと、しんどいこと、痛いことがあるからこそ、自分自身を成長させてゆく糧にできる、ということがあるのかもしれません。