祈りのしくみ
ずいぶん昔のことですが、砂絵でマンダラを描かれるチベット?の職人さん?が来日されたことがあったのだそうです。色のついた砂を細かく並べて、絵を描くのだそうですが、びっくりするくらい精密なものを作られるのだとか。
そんな記事を読んだのがいつ頃だったのか、もうあまり定かには覚えていないのですが、ひょっとすると、インターネット以前の、本か、あるいは雑誌の記事だったのかもしれません。
「このマンダラは、これで完成なんですか?」って記者は尋ねたのだそうです。
そしたら、「未完成なんです」っていう説明があったのだとか。「完成させたら、そこら中の女性が妊娠してしまう」ってそのマンダラの職人さんがおっしゃった、という風に記憶しています。
わたしが若い頃の文章ではありますが、わたしも女性がどのように妊娠するか、というのは、知っていたのだと思います。まさか、マンダラとはいえ、いわゆる砂の粒の並びひとつで、女性が妊娠する、なんて荒唐無稽な…って思ったのだと思います。
そんな思いを抱いたことも、忘れるともなく、あまり思い出していなかったのですが、先日、『法力とは何か』 という本に出会いました。これには、とあるお坊さまが、ソビエトの戦闘機をつかまえる、という話が載っていました。お坊さまですから、実際になさったことは「求めるものを引き寄せる呪法」なのだろうと思います。
その戦闘機にのってやってきたソ連の将校は「亡命してきた」のだそうでした。当時大きなニュースにもなったようです。
亡命してきた、というのと、戦闘機をとっ捕まえてくる、と、呪法を使ったことの間には、なんにも論理的な繋がりは無いのですが、繋がりはなくても、呪法の結果が引き寄せられたことは、ひょっとすると、その通りと言えるのかも知れません。
きっと、砂絵マンダラも、そのような形で結果にたどり着くなにものか、があったのかもしれません。
祈る、っていうことは、そのような、論理的な繋がりを超えたところに、なにか、響くものがあるような気がしています。