自分くらい、自分の味方であってほしい。
臨床の話をするのは、はばかられる、と先日書いておきながらなんですけれど、それでもやっぱり臨床がらみの話をします。個別の話はできないので、臨床のことばに引っ張られてでてきた雑感です。
臨床の医者の仕事をしていると、どうしても、患者さんの生活とか、人生に立ち入った話が出てくることが時々、あります。
もちろん、身体の不調のこと「だけ」に焦点をあてて、その対処を淡々とする、という職人芸的な臨床の技能というのを発揮される先生もいらっしゃるでしょうが、わたしには、そのようなスッパリ切り分ける、ということができませんでしたので、いろいろなお話を聞くことになります。
患者さんそれぞれの、しんどさを、全て理解した、とは到底言えませんが、わずかながらも、お話を伺い、診療をしている中で、生活の困りごとやしんどさにも目が向かうことがありました。
わたしが、人の人生というものに対して、曲がりなりにも、多少とはいえ、ものを申し上げることができるようになったのは、このように、今まで、いろいろなお話を聞かせてくださった方々があってのこと、だと思っています。
そんな中で、最近、つくづく思うことがひとつあります。
「自分くらいは、自分の味方であってほしい」。
うっかり自分を責めてしまうことだって、あります。でも、そういう自分もまるごとまとめて、やっぱり大事にしてほしいと思います。
自分を大事にすること、って、自分の「悪いところを見ないで、良いところだけを見る」というのとはまたちょっと違います。「良いところも、悪いところもまるごと」みて、それをまるごと、受け止めてあげてほしいと思っています。
なかなか、他の人の味方を、どんな状況になっても続ける、っていうのは大変なことですが、せめて自分くらい、自分の味方であり続けていただきたい、と、そう願っています。