自分軸と他人軸

ひとの目っていうのは、けっこう気になるものです。

「男は家を出たら、7人の敵がいる」という表現がありましたが、八方向のうち、正面を除いた方向をさしているのだそうで、これはほとんど全部の方向から見られていても隙が無いように過ごさねばならない、という意味なのだ、という主張をされる方もありました。

先日もちょっと書きましたが、「ひとの目が気になる」とかあるいは「後ろ指をさされないように」という緊張は、ずいぶんと頭に負担がかかる生き方になっています。

かんをみがく

クリニックの診療で、いらっしゃった方の頭に触れることが増えました。「頭」というのは、以前も書いていますが、いろいろと考え事をする場所です。 ここは基本的には作業…

ひとさまは、他人ですから、それを自分の思ったように動かすことはできません。ひとさまの評価というのは、ずいぶんと勝手な話もやってきます。

一時期Twitterで有名になりましたが、イソップの寓話「ロバを売りに行く親子」を元ネタとして、ロバを連れた老夫婦の風刺漫画がありました。

ロバに二人乗りしたら「ロバがかわいそうだ」と言う人があり。

じゃあ、と片方だけが乗ったら「歩いているひとがかわいそうだ」と言う人があり。

入れ替わっても「けしからん」と言う人があり。

二人とも降りて、ロバをひいたら「せっかくロバがいるのに、乗らないなんて…」と批判するひとがあります。

他人の評価とは、その時々で、勝手なものですが、それにいちいち反応していたのでは、方針が定まりません。さすがにこの寓話はあまりにも極端な表現になっているのだと思いますが、似たような話はどこにでもあるのでしょう。

こういう「他人の評価に自分を委ねる」あり方を「他人軸」と呼ぶことにします。

他人軸は、他人の評価に流される人生になります。このままうっかり調子良く過ごせる場合は良いのですが、時流が変わったり、あるいは他人の気分が変わったりすると、それだけで、評価が変動します。

一方で「他人の評価に左右されず、自分自身の価値観をつらぬき通す」というあり方を「自分軸」と呼ぶことにします。

自分軸は、そのしっかりした軸を立ち上げることが大変だったりします。そして、自分自身の価値観とは言いますが、それが周辺の価値と衝突し続けるようなあり方では、それはそれで別の摩擦が発生して、消耗します。

他人にまるごとを委ねてしまうわけではありませんが、自分自身の価値観を大事にしつつ、他者への配慮も含めた価値基準を自分の中に持つ、ということができたらよいのかなあ、と思います。