試験範囲のこと

今年度もそろそろ終わりに近づいてきました。今年度…の前期まで、わたしは看護学生さんたちを対象とした講義を受け持っておりましたので、いろいろと講義の資料を作ったり、試験問題を作ったりしていたものでした。
なるべく、興味が出てきやすいように…といろいろ工夫するわけですが、50がらみのオッサンが面白いと思う話題と、ハタチ前後の学生さんたちが興味を持つ話題はやはり、いろいろと世代の差があるようで、「そんな雑談は要らないから、さっさと授業を進めてほしい」などという辛辣な授業評価もしばしばありました。雑談に見えているかもしれないけれど、大事な話してたのに…とは思いますが…。
試験範囲が広すぎる、という意見をもらったこともけっこう多かったように思います。どこまでも試験範囲、って正気ですか?みたいなことを言われたわけではありませんが、ちょっと言われかねないような雰囲気でした。
でもさ?ってわたしは思っていたのです。
試験範囲に入ってなかったので、とか、教科書に載ってなかったので、とか、あるいは「わたしは勉強していないので」とか、そういう形で「習っていない」ということを理由にして、目の前でしんどい思いをした人の対処ができない、って、それはダメでしょうに。
医療って、そういう「はじめまして」でも「今まで聞いたこともない」でも、対応しなきゃならない仕事でしょう?って。
そう思っていました。
あるとき、ふと気づいたんですよねえ。
「検査結果に異常ありませんでした」とか
「これはウチの科のビョウキじゃありませんねえ」とか
「うーん。更年期障害じゃないの?」とかって。
言い方は違うのだけれど「これの対処法はわたしにはわからない」っていうのと、おおよそ同じ意味になってしまってませんかねえ…?って。
わたしも街中で開業していますので、近隣にいくつかのクリニックがあります。あちこちのクリニックや病院にかかっておられる方も受診されることがあります。
だから、おまかせできることはお任せするわけですが、それでもどうしようもない部分っていうのがあったりします。
ラストマンシップと呼ぶらしいのですが、自分が断ったら、この問題を解決するひとは誰もない、という覚悟のことだそうです。
医療を担う時には、どこかしらで、そのラストマンシップが発揮されている、とわたしは思いたい。
もちろん、全ての事が解決できるわけではないから、専門家がより良く対応してくださるなら、是非そちらにお任せしたい。でも、他のだれもが、解決に頭をひねるような状態であるなら、わたしも一緒に頭をひねり、多少なり、何らかの決着がつくところまで、じっくりお付き合いしてゆきたい。
義務教育の水準で、そのような、「正解が準備されていない」問題なんていうのは、見ることがないかもしれませんが、人生の中では、しばしば出くわすわけです。
もちろん、それに直面したご本人が解決してゆかなければなりません。その課題を他人が勝手に解いてしまうのは、不偸盗戒に抵触します。
とはいえ、解決するご本人に伴走することはできます。
伴走の仕方は、そういえば、学校で教えてもらったことの中には、入ってなかったかもしれませんし、試験にも出なかったような気がします。が、医療職に限らず、援助職って、そういうことが仕事になっているのだとわたしは考えています。